『生成消滅論』I.8 #2 レウキッポスの反エレア的描像.エンペドクレスも同じ描像を共有する

GC I.8 325a23-b11. 前回 a23 まで読んでいた.


[325a23] 他方で,感覚に一致する事柄を述べ,生成も消滅も,運動と〈あるもの〉どもの数多さも破棄しない議論を,レウキッポスは有していると思われる.彼はこれらのことを現れていることどもに譲歩する一方,「空虚なしに運動があることはなく,かつ空虚はありはせず,かつ〈あるもの〉のどれもありはしないことはない」ということで一者を保持する人々については,次のように主張している.「すぐれてあるものは,完全に充実したものであるが,そうしたものは一ではなく,むしろ多数者は無限であり,塊の小ささゆえに不可視である.これらは空虚の中で場所移動し (というのも,空虚はあるから),複合して生成をつくりなし,分解して消滅をつくりなす.偶々接触する限りで,それらは作用し作用を受けるのであり (というのも,その仕方では一つではないから),一緒になり撚り合わさって生み出すのだ.真理に即して一であるものから多数者は生じえないし,また真に多数であるものからは一は生じえないが,これは不可能である.むしろ,ちょうどエンペドクレスやその他の人々のうち或る人々が主張するように,通り道を通して作用を受けるのであり,そのようにして,全ての性質変化やあらゆる作用を受けることはこの仕方で生じる––空虚を通って解体と消滅が生じ,増大も同様であり,他のものどもが入ってくるのだ」.

[325b6] おおよそエンペドクレスにとっても,レウキッポスが主張したのと同じように語ることが必然である.というのも,あらゆるところに連続した通り道があるのでなければ,いくつかの立体があり,分割不可能でもあるから.だが,〔あらゆるところに連続した通り道があるという〕このことは不可能である.というのも,通り道のほかに何ものも立体でありはせず,むしろ全ては空虚であるだろうから.したがって,接触するものどもは分割不可能であり,これらの中間にあるものどもは空虚であって,エンペドクレスはこの空虚を通り道であると言っている.能動と受動とについて,レウキッポスもそのように述べている.

要約

  • レウキッポスは (エレア派と異なり) 感覚に一致する (生成消滅,運動,ものの多数性を認める) 議論を提出している.
    • エレア派に対して,彼は次のように反論する:
      • 第一義的に〈あるもの〉は充実体であり,充実体は一ではなく無限である.
        • 生成消滅 = 充実体の複合・分解.
        • 空虚は〈ある〉ため,その中を充実体は場所移動できる.
      • 真に一であるものから多数のものは生じない.逆も然り.
        • むしろ,通り道を通して諸々の生成変化が生じる.
  • エンペドクレスも同様に語らなければならない.
    • 全てが空虚であるわけではない以上,任意の場所に通り道があるわけではない.
    • すると,分割不可能な物体の存在を措定しなければならない.
    • 要するに,エンペドクレスの所謂通り道とは,レウキッポスの所謂空虚のことに他ならない.

訳注

  • Rashed と異なり τὸ κυρίως ὄν を読む.

先行研究

  • Williams:「真に多数であるもの」と述べているのは a mistaken attempt of symmetry.
  • Williams:「通り道が空虚である」というのはエンペドクレス説の説明としては不正確 (本当は空気).