『生成消滅論』I.8 能動・受動に関するエンドクサ (原子論とエレア派)

GC I.8 324b25-325a17.

 \TeX 記法が便利で濫用してしまう.Symposium の Hussey の論考は拾い読み (必ずしもアリストテレスのテクストの順序に即していないため).


[324b25] どうして以上のことが帰結してよいのかを,我々はあらためて語ろう.さて,或る人々には,「末端にある,この上なくすぐれて作用するものが,何らかの通り道を通って入ってくることで,個々のものが作用を受けるのだ」と思われており,「この仕方で,我々は見たり聴いたりするのであり,また他の全ての感覚も感覚するのだ」と彼らは主張するのであり,さらに,「空気や水や透明なものどもを通して見るのは,〔それらが〕小ささゆえに不可視であるが,密であり列をなしている通り道をもつがゆえにであり,いっそう透明であるものは,いっそう〔そうした通り道を〕もつのだ」と主張する.かくして,或る人々は––エンペドクレスもそうだが––,或るものどもについてこのように規定した.作用するものどもと作用をうけるものどもについてのみならず,それらの通り道が互いと適合しているところのものどもは混合もすると彼らは主張する.

[324b36] レウキッポスとデモクリトスは,開始点をまさに〈ある〉ところの自然に即したものとしつつ,最も方法的に,かつ全てのものどもについて規定した.というのも,古人の幾人かには,次のように思われたのである.「〈あるもの〉は必然的に一であり不動である.というのも,空虚はありはしないものであるが,離在している空虚がありはしないとすれば,運動することは可能ではないだろうし,加えて,分離するものがありはしないのだから,多くのものがあるということもないのだ.もし「全てのものが連続ではなく,むしろ分離しつつ接触するのだ」とひとが考えるとしても,それは,多であり一でないものや空虚があると主張することと,なんら相違ない.というのも,一方で,あらゆる仕方で分割可能であれば,一はないし,したがって多もなく,総体が空虚である.他方で,或る仕方では分割可能であり或る仕方ではそうではないのだとすると,これは何か作り事らしく見える.というのも,どれくらいまで,また何ゆえ,総体の一方はこのようである,すなわち充実しているのであり,他方は分離しているのか? さらに,同様にして,運動がありはしないことも必然である」.

[325a13] さて,これらの議論から,言論に従うべきだからということで,感覚を越え出て感覚を無視しつつ,「万物は一つであり不動であり無限である,というのも,〔無限でなければ〕限界が空虚に対し境界づけることになるだろうから」と若干の人々は主張しているのである.それゆえ,或る人々はこのように,これらの諸原因によって,真理について表明している.

[325a17] 議論の点ではこうしたことが帰結すると思われるが,他方で事柄の点ではこのように判断することはほとんど狂気にひとしいと思われる.というのも,狂気に陥っている人の誰も,火と氷とが一つであると考えるほどに常軌を逸することはなく,むしろただ,立派なものと習慣によって立派だと現れているものとが,若干の人々にとっては狂気ゆえになんら違いがないのである,と思われるからだ.

要約

  • 原子論者:
    •  \underbrace{A_1 \rightarrow ... \rightarrow A_T}_{agents} \rightarrow P という図式のもとで, A_T がある通り道を通って  P に侵入することで, P は作用を受ける.
    • 感覚はこの仕方でなされる (i.e.  A_T が感覚対象, P が感覚器官).
      • 視覚の場合,媒体となる空気や水は多くの整然と並んだ密な通り道をもつ.
    • 混合も通り道との適合から説明される.
  • 以上の議論は (i) 自然に即しており,(ii) 最も方法的 (ὁδῷ) で,(iii) 全てを説明している.
  • 対比.エレア派のだめな議論:
    • 〈あるもの〉は一であり不動.エレア派の論拠は以下の通り:
      1. 空虚は〈ありはしない〉もの.空虚がない以上,運動はありえない.
      2. (空虚という) 分離するものがない以上,多はない.
      3. 「空虚はないが,分離しつつ接触している」とも言えない.
        • あらゆる分割が可能なら,一すらなくなる.
        • 特定の分割だけが可能だというのは恣意的である.
  • 以上の議論は感覚を越え出ており,無視している.
  • 議論ロゴイの点では以上の議論が帰結するように思われるが,事柄プラーグマタの点では,以上の議論は,狂人でさえ主張しないようなものである.

訳注

金山訳を参照した.

  • Hussey に従い ἐνίοις を διαφέρειν に係るものとする (そうでないと構文が取れない).
    • Hussey: 非難のしかたとして驚くべき例で.Top. 105a3-7 (「敬神と孝行に対する懐疑には懲罰で応えるべし」) が the closest parallel.

先行研究

  • σύμμετροι (b35): not 'proportionate' nor just 'of the same size' but 'of the same dimensions'; that is, 'of the same size and shape': so as to fit something else exactly. Thie is not a standard Aristotelian usage (Hussey).