ヴェーバー『宗教社会学論選』

M. Weber, Gesammelte Aufsätze zur Regigionssoziologie (1920-21), Bd.1 中の総論的な論文四編を収めた選集.すなわち「序言 Vorbemerkung」「序論 Einleitung」「中間考察 Zwischenbetrachtung」および「儒教道教」第8章「儒教とピュウリタニズム Resultat: Konfuzianismus und Puritanismus」.

「序言」は〈西洋 (とりわけ近代西洋) における普遍妥当的な文化的諸現象のユニークな発達〉という事象に着目し,とりわけ資本主義におけるそれ−−すなわち「自由な労働の合理的組織をもつ市民的な経営資本主義」の成立 (19) −−を問題にする.ただし「合理化」の多義性に鑑みて,西洋における「合理主義」の特性を認識し,その成立を解明する必要があるとし,「土台」としての経済と合理的生活態度の間の双方向の因果連関を研究する,というプロジェクトを立てる.

「序論」はあまり内容理解に自信がないが,宗教倫理 (すなわち宗教のもつ「行為への実践的起動力 praktische Antriebe zum Handeln」)・宗教そのもの・宗教の担い手となる社会層とそれを取り巻く社会的状況がいかなる関係に立つか,という問いを立て,特に経済的合理主義の解明という観点に (たとえば叙述のアクセントの付け方などが) 依存する仕方で,経済倫理と諸宗教の関係を類型論的に検討するという課題を設定し,それに必要なターミノロジーの設定を行っている,ように見える.宗教倫理を階級関係の「函数」とする反対説の一例としてニーチェの「ルサンチマン」説を挙げた上で事実に基づき論駁を加えているあたりは面白い.「伝統主義的 / カリスマ的」その他の分析概念もここで簡潔に説明される.Sekte / Kirche がどうやら元々ヴェーバーのタームであるらしいこともこれを読んで知った.

後半の二論はごくざっと目を通しただけ.「中間考察」は,続くヒンドゥー教の考察に先立ち,諸宗教の現世拒否的倫理の諸形態に関してごく抽象的に論じる.「儒教とピュウリタニズム」は表題の通り比較論で,両教のもつ非合理的基盤 (呪術 / 予定説) と,現世に対するこれに根ざした実践的態度 (外面重視,伝統重視 / 内面重視,現世改造) とが,政治経済の組織形態に大きな影響を及ぼしたと主張される.