Wiggins, SSR, Preamble #1 方法論と術語 (同一性,実体,個別化)
- David Wiggins (2019) Sameness and Substance Renewed, Oxford University Press.
- "Preamble, chiefly concerned with matters methodological and terminological". 1-20 [うち 1-7 (§1-3)].
前書きの前半1/3.こんなに読み進まないとは思わなかった.難しいとは予想していたが,その予想の倍は難しい.
1. ねらいと目的
本書の目的は,存続者 (continuants)*1 (⊇ 実体) の個別化の理論を詳述することである.そうした理論は少なくとも次の三項目を含むことになる.
- プリミティヴな同一性概念の解明.
- 〈変化を通じて存続する実体ないし存続者である〉とは何であるかの説明.
- 思考する人が或るものを取り出す (single out) とは実践的・認知的に何を意味するかの説明.
これらの課題の論理的・方法論的な順序づけについての哲学者の態度は,意味の使用説に対するそれと相関する.なるほど「同一」「実体」「変化」「存続」という語の意味はその用法に依存する〔したがって課題 3 を最優先とする動機が生じるかもしれない〕.とはいえ,同時に以下の (A) (B) も認められねばならない.
- (A) 意味と使用の関係は双方向的である: 意味に関係する事柄全てが使用に現れるとしても,意味を使用に還元することはできない.ゆえに,課題 1, 2 を 3 に還元することもできない.
- (B) 言語使用・概念的実践を解釈するなら,それらが述べる主題 (subject matter) について語らねばならない*2.子供が存続する実体を探し,同じものを再認するとき,技能と主題とを同時につかみとる.子供の思考を理解しようとする哲学者もこれに応じて進まねばならない.その哲学者には,直接に,理論を扱わない人が参与するのと同一の実践の内側から同一・実体 etc. を解明させ,併せてうまい解明の仕方を例示させよう.この目的のために,取り出される物と思考者の実践的交流の後をつけさせよう.すると結果として課題 3 が 1, 2 と呼応する仕方で着手されることになろう.課題 1, 2 は 3 の重要性を認めるだろうが,つねにその重要性を考慮することで,事実上 3 を吸収するだろう.
〈概念–実践–取り出される物〉が密接に相互依存しており,関連する諸観念もごくプリミティヴなものだとすれば,個別化の哲学理論なるものは果たして可能なのだろうか? –– 答え: ともあれ我々は予備的・前理論的な諸観念を有しており,そこから暫定的な・第一の解明が得られる.それをもとに,第二段階として,我々の共有する論理的理解を精査し,統合整理しうる.この第二段階で '=' の哲学的分析が得られるわけではないが,なぜ我々の経験する変化する世界において同一性関係が重要なのかという点についての謎はなくなるだろう*3.
このように実践的な事柄を強調するからといって,課題 3 を特権的に優先するわけではない.また,欺かれている諸主体のために,純粋な流動であるかもしれない世界を,あたかも存続する諸対象のある世界であるかのように見る見方を理論家が探すべきだというのでもない.(存続は根本的で確立された所与であって,作り事ではない.) むしろ,理論家はものを個別化する人々と同一の見地 (ないしはそこからの穏健な推測) から,〈真正の存続者である〉とは何であるかを理解すべきだということだ.
以上の解明の方法には二つの批判がある.(1) この方法は空虚であり,説明されるべきことの反復に過ぎない.(2) 同一性のもつ合同 (congruence) その他の属性から導き,同一性についての積極的な発見についての諸要件になるような要求は,あまりに厳しすぎる.–– 両者を同時に主張することはできない.どちらも誤っていることは以下で示すつもりである.
2. 同一性の形式的属性
諸概念が相互的である (互いを前提しあっている) 場合に,分析哲学は一つを master thread として全体を解き解す恣意の試みをなす傾向にある.本書はこうした可能性を否定するが,しかし,本書でも同一性の反射性と Leibniz 則が特別の地位に就いていると非難されるかもしれない.––この非難には Ch.1, §2 の議論が部分的に解答を答えるのみである.この節を括弧に括るなら,Wiggins 説と (Leibniz 則を破棄する) 対立見解との間にある問題は,全体論的・弁証法的であって,個別化に関する対立見解が充分に発展し,それらが記述すると称する諸実践全体のもとで比較されるまでは解消しえない.
3. 諸観念
冒頭の三つの課題に応じて,同一 (identical, same), continuant, 個別化 (individuate) という観念がある.
- 〔同一性.〕ここで同一性 (sameness) とは,質的類似性ではなく,(対象・物・実体としての) 合致 (coincidence) を指す.同一性の観念は述定の観念と同じくらいプリミティヴであり,相互に連関している:「ソクラテスは男である iff. ソクラテスは或る男と同一であり,それゆえ (後述するように) 或る男と全ての属性を共有している」.
- 同一性関係を別のものに還元する試みは未だかつて成功していないし,還元以外の (別の同等に古く (coeval) 並行し (collateral) 独立に理解可能な諸概念との関係での) 解明によって多くを得られる以上,必要でもない (cf. TLP 3.263, 4.026, 4.112).
- 〔実体.〕存続者ないし実体の解明は,定義にはならないし,日常的な知覚可能な個体の消去しがたく実践的な例証 (demonstration) なしには有り得ない.もちろん解明は例証以上のことをすべきだが,定義不可能性から実体概念自体を放棄するのは,Met. Z の教訓を学んでいないに等しい.
- 〔個別化.〕OED: 'individuate := single out, pick out'. これは本書の用法と合致する.個別化するのは第一義的には思考者であり,派生的に (のみ) 実詞や述語である.x を取り出す (single out) とは,経験のなかで x を分離すること,とりわけ,時空的境界を引いて他のものと区別することにより x を特定することであり,それゆえ,x を発見できるような仕方で現実を分節することである.
- x を取り出す (ないしはそれを引き延ばして x を追跡する) ことだけでは,x を指示する (refer to x or designate x) ことにはならない.x を取り出すことなしに x を指示することはできるが,もし取り出しが〔一般に〕なかったなら,指示もなかっただろう.取り出しは個物についての情報の頼みの綱 (the sheet-anchor) なのだ.
- 「個別化する」「取り出す」は内包的な動詞ではない: ある思考者が x を取り出し,かつ x = y なら,その人は y を取り出している.ただし「x を y として取り出す (single out as)」ことはできる.本書は後ほど,「として取り出す」ことができるのでない限り「端的に (tout court) 取り出す」ことはできない,と論じる.「取り出すとは何かを取り出すことである」のみならず,特定の場合に必要な事柄が,物そのものの〈何であるか〉から導かれるのだ.以下が本書でなされるだろう説明の帰結である: 或る思考者が実体を個別化するには,彼と x との関係的状態と,x に関係した実践的感受性 (practical sensibility) (≒ 思考者が x を x として,かつ或る類 (kind) f のものとして (ただし f のメンバーであることが「x とは何であるか?」に対する或る正しい答えを含意する) 取り出すこと) が必要である.
- 加えて,時点 t において実体 x を取り出す操作は,t の前後を見なければならない.また「〈何が取り出されているか〉が不確定 (indeterminate) であるとき,不確定なものが取り出されている」とするのは全く誤っている (Ch.5-6).……だが,ここまで行くと術語の説明をはるかに超えている*5.
- 本書では 'pick out', 'single out' に 'individuate' やその同族語の実践的・認識論的な意味を持たせる.