森鷗外『近代小説集』第一巻
「うたかたの記」(1890)「舞姫」(1890)「文づかひ」(1891)「ヰタ・セクスアリス」(1909),その他幾つかの小品を収める.前三者は『水沫集』(1892) 所収の短編で,いずれも擬古文体の洋行もの.「舞姫」以外は初読.
細やかで真に迫った心理描写ということではやはり「舞姫」が一頭地を抜いているが,「文づかひ」も捨てがたい.この小説は,一人称の文体を用いてはいるけれども,「洋行がへりの将校」の集まりで「小林といふ少年士官」が語った話であると冒頭に断られ,またその語り手はドラマのほとんど傍観者的な立ち位置にある点で,他二作とはやや趣きを異にする.筋はこうである.小林はザクセン軍団の演習の宿泊先となった城でイイダ姫と知り合いになる.イイダ姫はメエルハイム中尉−−「われ一個人にとりては」が口癖の,小林の気のいい友人−−の許嫁である.小林はあるとき頼まれて彼女の手紙をひそかにファブリイス伯爵夫人に届けることになるが,それはメエルハイムとの結婚を避けて女官へ転身する願いを綴った手紙であった.
イイダ姫が小林に事の次第と胸の内を明かす最後の語りは,時代の転換期に立たされた人間の心の機微の一端をみごとに捉えている (本書 122-124 頁).彼女の行動の芯は「貴族の子に生れたりとて,われも人なり.いまいましき門閥,血統,妄信の土くれ」という意識にある.(一方で「われ一個人にとりては」の「心浅々しき」メエルハイム男爵にはにべもない.彼の「一個人」は現実のしがらみの認識における捨象でしかない−−「イイダ姫われを嫌ひて避けむとすなどと,おのれ一人にのみ係ることのやうにおもひ做されむこと口惜しからむ」.)さりとて「いやしき恋」に身を投じるあてはない.思案の末に彼女は「礼知りてなさけ知らぬ宮の内」への隠遁を首尾よく成し遂げるが,この misanthropic な選択の結果として,ただ一つ痛切な喪失が自覚されることになる.それは「欠唇」の童とのあいだに保たれていた,か細い精神的紐帯の断絶であった.
「ヰタ・セクスアリス」はやや読みあぐねた.全然つまらないというわけではないが,古典のような顔をして新潮文庫や岩波文庫に収まっているのは解しかねる.どちらかといえば珍書奇書の類ではないかと思う.