『生成消滅論』I.7 #2 作用の主体と客体は反対者である.すなわち類的に同一,種的に異なる

GC I.7 323b29-324a24.

[323b29] だが,偶々あるものが作用し作用を受けるわけではなく,むしろ反対者をもつか反対である限りのものが作用し作用を受けるのだから,作用するものと作用を受けるものが,類においては類似し同一である一方,種において類似せず反対であるということは必然である.(というのも,本性上,物体は物体によって,体液は体液によって,色は色によって作用を受けるのであって,総じて同類のものが同類のものから作用を受けるのだから.このことの原因は,反対のものは全て同一の類のうちにあり,反対のものが互いに作用し作用を受けるのだということである.) したがって,作用するものと作用を受けるものがあるあり方は,一方で同一であるが,他方で互いに他なるものであり類似していないことが必然である.作用を受けるものと作用するものは類において同一であり類似しているが,種においては類似しておらず,そうしたものは反対のものなのだから,互いに反対のものと中間的なものが能動的であり受動的なのだということは明らかである.というのも,総じて消滅と生成はこれらのもののうちであるから.

[324a9] それゆえ今や,火が熱し,冷たいものが冷やすということ,また総じて能動的なものは作用を受けるものを自らと似たものにすることも,理にかなっている.というのも,作用するものと作用を受けるものとは反対であり,生成とは反対のものへの生成であるから.したがって,作用を受けるものが作用するものへと変化することは必然である.というのも,生成はそうした仕方での反対のものへの生成であるから.

[324a14] そして実際,同じでないことを語っていながら,双方ともが同様に自然本性をかすめていることも,理にかなっている.というのも,我々は或るときは基礎に置かれるものが作用を受けると言い (例えば人間が健康にされ,熱され,冷やされたり,同じ方式で他のことどもを被るように),或るときは冷たいものが熱され,病気のものが健康にされると言うのだから.両方が真理である (作用するものについても同様である.というのも,我々は或るときは人間が熱すると述べ,或るときは熱いものが熱すると述べるから).というのも,或る仕方では質料が作用を受けるのであり,或る仕方では反対のものが作用を受けるのだから.それゆえに,質料に注目する人々は,作用するものと作用を受けるものが何らか同一のものであるべきだと考え,他方の反対のものどもに注目する人々は,反対のことを考えたのである.

要約

  • A が P に作用するとき,A と P は反対ないし中間のものである.
    • したがって,A と P は類において類似的・同一であり,種においては類似しない.
  • ここから,A が P を A に似たものにすることも説明できる.
    • 生成は反対のものへの生成だから.
  • 作用の主体・客体についての (T) 「基礎に置かれるもの」説,(AT) 「反対者」説は,いずれも正しい.
    • (T) と (AT) は力点の違いにすぎない.

訳注

  • a15 で ὅμως ではなく ὁμοίως を読む (cf. Wildberg, 232n19).

先行研究

  • Williams: "Aristotle seems in 324a8-14 to be making the same point as he makes in De Anima, II.5.417a20." Joachim: "... and it is applied to Nutrition, Growth, Sensation, and (with modifications) to Thought."
  • Wildberg: "Fire heats and water cools, and in general each agent causes the affected body to become like the agent, thus initiating a change from one contrary to the other. Hence, the doctrine that agency and patiency occur among contraries dovetails nicely with the theory that generation and destruction too involves contrariety."
  • Wildberg: 念頭に置かれている現象は「X が Y になる」生成と端的な生成のどちらとも取れるが,そのどちらでもある基本要素の相互生成に焦点を合わせているのだとすれば辻褄が合う.
  • Wildberg: a15ff. の議論は言語分析.

メモ

  • 主題を狭く捉える Wildberg の解釈方針の場合 De An. 417a1f. の cross reference (καθόλου λόγοι) をどう処理するのか疑問.222n4 で触れるが深入りしない.