『生成消滅論』I.6 #2 接触

GC I.6 322b26ff.

[322b26] 次の原理を我々は把握しよう.というのも,〈あるもの〉どものうち,それらの混合がある限りのものは,互いに接触しうるのであり,もしすぐれて何かが作用し,他方のものが作用を被るなら,これらについても同様である.それゆえ,まず接触について語らねばならない.

[322b29] さて,他の諸々の名辞の各々も様々な仕方で語られるのであって,また或るものは同名異義的に語られ,或るものは他の,より先のものとは異なるものであると語られるのだが,接触についても,それとおおむね同様のあり方をしている.そうではあるにせよ,〈すぐれて〔接触であると〕語られる〉は位置をもつものどもに帰属するのであり,位置は場所が帰属するようなものに帰属する.というのも,数学者たちも同様に接触と場所を説明しなければならないから––それらの各々が離在しているのであれ,他の仕方であるのであれ.それゆえ,ちょうど先ほど規定されたように,もし接触するとは端を一緒に持つことであるなら,分離した,大きさのあるものどもであり,位置をもち,一緒に端を持つ限りのものは,互いと接触するだろう.位置は場所が帰属する限りのものであり,場所の第一の種差とは,上下や,諸々の対立するもののうちのそうしたものだから,互いと接触する全てのものは重さないし軽さを (その両方ないしは一方を) 持つ.こうしたものは作用を被りうるものであり,作用しうるものである.したがって,それらが本性上互いと接触することは明らかである.それら分離した,大きさのあるものども––それらは運動させうるものであり,互いによって運動するものである––には,端が一緒にあるのだ.

[323a12] 運動させるものは一様な仕方で運動するものを運動させるわけではなく,或るものは運動しつつ自ら運動し,或るものは不動であるのであって,作用するものについても同様の仕方で我々が語っていることは明らかである.というのも,運動させるものは何かに作用し,作用するものは運動させると言われるから.しかしながら,とにかく異なってはいるのであり,定義しなければならない.というのも,我々は作用するものを作用を受けるものと対置し,運動と対置されるのはこの受動様態であり,受動様態は性質変化する限りのものにのみ即してあるのであって (例えば〈白い〉〈熱い〉のように),運動することは作用することより多くの場合にある以上,全ての運動させるものが作用しうるわけではないから.

[323a20] すると,次のことは明らかである.すなわち,或る仕方では運動させうるものは運動しうるものと接触するだろうが,或る仕方ではそうではない.だが,接触することの普遍的な定義は,位置をもつものの定義であり,運動させるものと運動するものとの定義である一方,相互的には,作用することと作用を被ることがそのうちにあるような,運動させうるものと運動しうるもの,の定義である.

[323a25] さて,たいていの場合,接触するものは,接触するものに接触する.というのも,我々の目に映るほとんど全てのものは,運動しながら運動させもするのであり,そうした限りのものどもについては,接触するものが接触するものに接触するということも必然である.他方,我々がときおり主張するように,運動させるものは運動するものに接触するのみであり,接触するものは接触するものに接触しない,ということがありうる.だが,同種のものが運動しつつ運動させることのゆえに,接触するものに接触することは必然であると思われている.したがって,もし何かが不動でありつつ運動させるなら,それは運動するものに接触するが,それには何ものも接触しないだろう.というのも,ときおり我々は,我々を苦しめる人が我々の「気にさわる」と言うが,我々が彼の気にさわるわけではないのだ.さて,自然的なものどもにおける接触は,この仕方で規定されたものとしよう.

要約

  • まず接触を論じる必要がある.
    • (i) 混合が可能なもの,(ii) すぐれて作用し作用を受けるもの,はみな接触しうるから.
    • 接触にも諸種ある.第一義的には,位置をもつものが接触する (cf. 数学的対象の接触).
      • より詳しく言えば: (1) 不連続で (2) 延長しており (3) 位置をもつ X と Y が (4) 一緒に端をもつとき,X と Y は接触している.
      • この接触をするものは,(i) 重さか軽さをもち,(ii) 作用し,作用を被り,(iii) 運動する.
  • 作用と運動には類似点と相違点がある.
    • 類似点: 運動させるものには,運動するものと不動であるものがある.作用も同様である (∵ 作用する = 運動させる).
    • 相違点: 作用を受けること = 受動様態 (πάθος) はもっぱら性質変化にかかわる.一方,受動様態の類比項である運動は,より適用範囲が広い.
  • したがって,運動させうるものは運動しうるものと,或る意味では接触し,或る意味では接触しない.
  • たいていの場合,接触するものは,接触するものに接触する (し,必ずそうだと一般に思われている).だが,不動の動者の場合,不動の動者が接触するものは,不動の動者に接触しない.
  • 以上が自然的事物の接触に関する規定である.

訳注

  • a33 の ἅπτεσθαι は苦し紛れに「気にさわる」と訳した.英語は 'touch' と訳せるので (若干意味はずれるにせよ) 簡単そうだ.これまでもそうだが既存の邦訳をほとんど参照できてない.

先行研究

Natali が line-by-line に丁寧に論じているが,追うのに力尽きた.いずれ読んでまとめる.Williams はおおむね伝統解釈に対する対抗解釈を打ち出してそれの周辺で色々論じている.

  • Williams:「重さないし軽さを (その両方ないしは一方を)」: (i) 二つのものが 重-重,重-軽,軽-軽 のいずれかであるs.(ii) 個々のものが両方ないし一方の属性をもつ,(iii) (Philoponus 案) 両方ないし一方が〈重い,または軽い〉という選言的属性をもつ.−− だが (iii) は後の 323a8-9 で弾かれる.ここの眼目は数学的対象の度外視である.
  • Williams: a12 で「不動」とされているのは伝統的解釈によれば天体だが,これは無理で,もっぱら不動の動者を指すはず.天体はせいぜい相互作用しないといえるにすぎない*1
    • また〈運動するもの / 不動のもの〉は作用しないものの内部の区別 (∵ 作用するものは作用を受ける).
  • Williams: 「或る仕方ではそうではない」(a22): i.e. 「接触」概念には 'A touches B' が 'B touches A' を含意するもの (狭義) と含意しないもの (広義) があり,後者の意味では必ずしも接触しない.ここでは connotation に注意が払われている.
    • 〔'ἔστι μὲν ὡς ... ἔστι δ' ὡς ...' 構文の用例を見てみてもいいかもしれない.〕
    • 非対称的な「接触」という奇妙な教説とパラレルな例: Cf. Δ15, I.6. こうした 'one-sided relation' の典型例は思考.接触の事例はアクィナスが神学に応用している:「世界は神に事象的に関連づけられるが,神は世界に事象的に関連づけられない*2」.
  • Williams: 「自然的なものどもにおける接触」は mathematical との対比 (metaphysical ではない).

*1:だが後半部のテクストについては "too obscure for us to feel much conviction that Aristotle's loose sense of 'contact'has application to the first mover rather than to the celestial spheres, or vice versa".

*2:詳細不明.Williams は自身の論文を挙げている: "Is God really related to his Creatures?" (1969).