『生成消滅論』I.6 #1 設問: 接触・作用・混合とは何か

GC I.6, 322b1-26*1. 5章はいったん飛ばす.Symp. Arist. の I.6 の担当者は Natali.


[322b1] まず,質料すなわち諸々の所謂基本要素について,以下のことを述べねばならない––あるのであれ,ありはしないのであれ,各々のものが永遠であるか,それとも或る仕方で生成するのか,またもし生成するのなら,全てのものは同一の仕方で互いから生成するのか,それとも一つのものがそれらのうちで何か第一のものであるのか.それゆえまさに,いま不明確な仕方で語られていることどもについて,まず語る必要がある.

[322b6] というのも,諸々の基本要素をつくりなす人々,基本要素からなるものどもを〔つくりなす〕人々はみな,分離と集積,および作用することと作用を受けることを用いているから.集積は混合である.どのように混合すると我々が語っているかは,明瞭に規定されていない.しかし実際は,性質変化することも分離することも集積することも,何ものも作用せず作用を受けもしない場合は,可能ではない.というのも,より多くのものを基本要素とする人々は,作用することや,互いから作用を受けることによってつくりなすのであり,また一つのものからなるとする者どもが作用を語ることは必然である.そしてこのことをディオゲネスは正しく述べている.すなわち,かりに一つのものから全てのものがあるのでなければ,作用することと互いから作用を被ることはありはしなかっただろう.例えば熱いものが冷やされ,今度はこれが熱されるように.というのも,熱さと冷たさが互いへと変化するのではなく,むしろ明らかに基礎に置かれるものが変化するのであり,したがって作用することと作用を被ることがそれらにおいてあるものどもについては,それらの基礎に置かれる自然本性が一つであることは必然である.さて,全てのものがそうしたものであると言うことは真ではない.むしろそうしたもののうちに,互いによって〔作用を受ける〕ものがあるのだ.だが実際,もし作用することと作用を受けることについて,また混合について観照しなければならないのだから,接触についても〔観照することが〕必然である.というのも,互いに接触できないものどもは,作用し作用を被ることがすぐれて可能であるわけではなく,また接触していないときには,何らかの仕方で第一に混合されることがあってよいわけでもない.したがって,これら三つのことどもについて定義しなければならない.すなわち,接触とは何であり,混合とは何であり,作用とは何であるか.

要約

  • 問い: 質料や基本要素は,(I) 永遠であるのか,(II) 生成するものか.また生成する場合,(II-1) 同等な仕方で相互に生成するのか,(II-2) 何かが第一のものなのか.
    • これを論じるために,以下の点を明確にする必要がある.
  • 多元論者は,(a) 分離と集積,(b) 作用と受動を〔立論の際に〕用いる.
    • だが,(a) 集積 = 混合とされるが,混合の仕方は明らかではない.
    • (b) 生成変化・分離・集積は,作用と受動作用があってはじめて可能になる.
      • 一元論者は,世界が一元的でなければ作用はなかっただろう,と主張する.
        • アポロニアのディオゲネス: 作用と受動作用の対象 (= 属性,e.g. 熱さ,冷たさ) の基礎に置かれる単一の本性がある.
      • とはいえ,あらゆる変化が相互作用であるわけではない.
    • また,作用と混合は (原則的に) 接触を前提する.
      • したがって,作用・混合・接触の定義が必要である.

訳注

  • γεννάω:「つくりなす」.さしあたり,理論において存在を措定するということだと理解する.LSJ: 'call into existence'.

先行研究

  • Williams: ディオゲネスの引用は 'not entirely apropos ... Diogenes is arguing the converse'.
  • Natali: 'the matter καί the so-called elements'. GC 全体の読み方と連動する.Philoponus 的な読み方によれば,GC基本要素を含む様々な生成・消滅主体の共通の諸性質を論じている.GC I の後半部では基本要素の生成消滅の理解に必須の基本概念が導入される.一方,Zabarella 的な読み方によれば,GC の主題はもっぱら複合的物体の生成消滅であり,四元素はもっぱら複合的物体の生成消滅の質料因として研究される.Zabarella は 322b1-5 の議論を根拠とする.近代の多くの解釈者が Zabarella を支持する一方,ps.-Aquinas は Philoponus を支持する.両解釈の最も重要な違いは第一質料を認めるか否かである.Zabarella 解釈では GC に第一質料の出る幕はなく,したがって b1 の καί は explicative に取るのが自然となる.Natali も Zabarella 側に傾く.
  • Natali: ὑπ' ἀλλήλων は相互性を含意する.
  • Natali: 「集積 = 混合」説は I.10 323b26ff. で批判される.

メモ

以下の点が理解できていない.

  • 冒頭の問いと b6 以降の問いの関連性.
  • 相互作用が限定的であるということの内実とその理由.

*1:Natali, 196: "The medieval translators have unified in one chapter two different texts. The first covers GC 322b1-26 and has the function of a general introduction to what follows: the rest of book I, or the entire work, according to different interpreters. ... The second text ... presents the discussion of the first preliminary notion, 'contact' (ἁφή)."