『生成消滅論』I.4 性質変化と実体的変化の違い

GC I.4. Symp. Arist. の担当者は Broadie (第一節のみ以下に反映).


[319b6] 生成と性質変化について,いかなる点で異なるのかということを,我々は述べよう––というのも,これらの変化は互いに異なる,と我々は主張するから.それゆえ,基礎に置かれるものが何かあり,基礎に置かれるものについて本性上語られる属性はそれとは別のことであって,これらの各々に変化があるのだから,一方で〔Xの〕性質変化は,〔Xの〕基礎に置かれるものが存続し,感覚可能でありつつ,〔X が〕それ自身の諸属性において––それらが反対者であれ,中間的なものであれ––変化するときにあるのであり (例えば身体が健康であるのが,今度は病気になるが,ともあれ同一の身体が留まってはおり,また青銅が丸いのが,或るとき角ばった形になるが,ともあれ同一の青銅であるように),他方で〔X が〕変化するときそれ〔= X〕の基礎に置かれるものとして何か感覚可能なものが留まるのではなく,むしろ例えば種全体から血が,水から空気が,あるいは空気全体から水が生じるように変化するとき,そうしたことはつねに生成であって,他方のものの消滅である.とりわけ,触覚ないしはあらゆる諸感覚によって感覚不可能なものから感覚可能なものへの変化が生じるとき ––例えば水が生成し,あるいは空気へと消滅するときのように (というのも,空気はおおむね感覚不可能だから) ––〔そうしたことは生成・消滅である〕.

[319b21] これらの場合において,生成するものと消滅するもののうちで反対者のうちの或る属性が同一のものに留まるなら (例えば空気から水があるとき,両者とも透明ないし冷たいのだから),これらの一方が,それへと変化する属性であってはならない.さもなければ,性質変化であるだろう.例えば教養ある人間が消滅し,無教養な人間が生成したが,同一の人間が留まっているというように.それゆえ,かりに教養と無教養がその人の属性それ自体でないとすれば,一方の側の人の生成,他方の側の人の消滅があっただろう.一方で,実際にはこの属性は留まるものの属性であり,人間にはこれらの属性があり,〈教養ある人間〉と〈無教養な人間〉の生成と消滅がある.それゆえに,そうしたことは性質変化なのである.

[319b31] 量に即して反対者の変化があるとき,増大と減少であり,場所に即してあるとき,移動であり,属性すなわち質に即してあるとき,性質変化であり,〈それとは別のものが属性ないしは総じて付帯性であるところのもの〉が留まりはしないとき,生成であり,他方は消滅である.質料はこの上なく生成と消滅を受け入れうる基礎に置かれるものであり,或る仕方で他の諸変化についての〔基礎に置かれる〕ものでもある.あらゆる基礎に置かれるものは何らかの反対者を受容可能であるから.さて,生成について,あるのかありはしないのか,どのようにあるのかということが,また性質変化について,この仕方で規定されているものとしよう.

要約

  • 生成消滅と性質変化は異なる.
    • 性質変化: (HRem) 基礎に置かれるものが存続し,(HPerc) 感覚可能であり,(ACh) 属性が変化する.
    • 生成消滅: (¬HRem) 基礎に置かれるものが存続せず,(¬HPerc) 感覚可能でない.
      • とりわけ (Imperc-Perc) 感覚不可能なものが感覚可能なものになる.〔逆も然り?〕
  • 生成消滅の場合,(¬ACh) 属性は変化しない.
  • 反対者の変化が (i) 量に即していれば増大・減少,(ii) 場所に即していれば移動,(iii) 属性・質に即していれば性質変化,(iv) 属性・付帯性とは別のもの〔= 基礎に置かれるもの〕が留まらないとき,生成・消滅.
    • このうえなく生成消滅を受け入れる基礎に置かれるもの = 質料.

訳注

  • 「種全体」「空気全体」と訳したのは πᾶν.
  • Williams は 'if both are transparent or \<wet, but not> cold' と作文するが,採らない.
  • 「一方の側の人の生成,他方の側の人の消滅」: τοῦ μὲν γένεσις ἦν ἄν, τοῦ δὲ φθορά. Joachim に反し,大筋で Broadie に倣う.ただし Broadie のようにそのまま μουσικὸς ἄνθρωπος / ἄνθρωπος ἄμουσος と取ると (彼女自身認めるように) 'slight awkwardness in the thought at lines 29-30' が生じる.両端にある ὑποκείμενον としての ἄνθρωπος だけを了解すればよいと思われる.

先行研究

とにかくここでは第一質料を認めるか否かが大問題.

  • Williams: ὅλον (319b14) ↔︎ κατὰ μέρος (I.3, 317b35). is-period と is-F の違いに対応する (cf. APo. II.2).
  • Broadie: 上記見解は誤り.ここは端的な生成消滅と性質変化の違いの説明だが,Williams 説では単なる reiteration になる.–– Williams がこう考えたのは,おそらく伝統的見解に従い τὸ ὑποκείμενον を「第一質料」だと考えているから.
    • B.: 伝統的見解によれば,ここでは実体的変化には三つの ὑποκείμενα があると論じられている: 存続する知覚不可能なもの,消滅するもの,生成するもの.だが,第一質料が働いているなら,生成消滅する ὑποκείμενα が「変化の ὑποκείμενον」だとは考えにくい.–– これに従えば,二つの説明方式だけが可能.アリストテレスが「水が空気になる」と述べる場合に,(i) これは日常的な言葉遣いであり正しい論理形式を反映したものではないか,(ii) ある意味では水も ὑποκείμενον だが,別の (おそらくはより recondite な) 意味において第一質料でもある.
      • B.:「性質変化 = πάθη の交換,生成消滅 = ὑποκείμενον の交換」という見解が上記の伝統的見解と対照をなす.性質変化における ὑποκείμενον の可視性の指摘をどう理解するかによって決まる.以下では仮に前者が正しいとして話を進める.
  • B.: 本章は Phys. I.7 より発展した描像を示している: Phys. では実体変化の特殊性が語られつつ (cf. 190a31ff.) それが変化のタイプの論理構造の違いについて持っている含意が語られていない.319b21-24 はこの分析に対してジレンマを提起している: (a) 実体的生成が実際には (共通の πάθος を持続的 ὑποκείμενον とする) 性質変化にすぎないか,(b) 始端と終端に共通の πάθος が存在しないか,である.
  • B.: 320a2-5 も第一質料解釈の論拠にはならない (↔︎ Williams).