『自然学』III.3 #2 作用と受動作用の同一性

Phys. III.3 202b5ff.


[202b5] それとも,一方のものの現実態が他方のもののうちにあるということは奇妙ではなく (というのも,教授は教えうるものの現実態ではあるが,しかしながら何かのうちにあり,切り離されてはいないが,A の現実態が B のうちにあるのだ),また一個同一の現実態が二つのものの現実態であることを何ものも妨げず (〈ある〉ことの点で同一なものとしてではなく,むしろ可能的にあることが現実活動することに対してあるように),教授する者が学習することも必然ではなく,〈作用すること〉と〈受動すること〉が同一であるとしても,だからといって,その結果,〈それであるとは何であったか〉を語る説明規定が一つである––例えばローブと外衣のように––わけではなく,むしろ,先述の通り,テーバイからアテナイへの道とアテナイからテーバイへの道のごとくであるのだろうか? というのも,あらゆる仕方でのこれらのものの全ての同じことどもが帰属するのではなく,むしろ,当のものどもにとっての〈あること〉が同一であるものどもにのみ,全ての同じことどもが帰属するのである.しかしながら,教授が学習と同一であるとしても,学ぶことと教えることとは同一ではない.ちょうど,隔たっているものどもの隔たりが一つであるとしても,ここからそこまで隔たっていることがそこからここまで隔たっていることと一個同一であるわけではないように.一般的に言って,教授は学習と,また作用は受動作用と,すぐれて同一であるわけではなく,むしろこれらに帰属するもの,すなわち運動が〔同一なのである〕.というのも,B のうちなる A の現実態と,B による A の現実態は,説明規定の点で異なるから.

[202b23] さて,運動とは何であるかということが,普遍的にも,各論的にも語られた.というのも,運動の諸種の各々がどのように定義されるべきだろうか,ということは,不明瞭ではないからである.というのも,性質変化しうるものの,性質変化しうるものとしての現実態が性質変化であるから.さらに,可能的に作用しうるものと作用を被りうるものとの,そうしたものとしての現実態は,端的にも,他方で個別的にも,建造であれ治療であれ,よりよく認識される.他の運動の各々についても,同じ仕方で語られるだろう.

要約

  • 実際は,次のようである.
    1. A (作用するもの) の現実態が P (作用を受けるもの) のうちにあり,
    2. それは (或る点から見れば) P の現実態でもあり,
    3. A の現実態と P の現実態は説明規定の点で異なる.むしろ両者であるところの運動が同一なのである.
  • 以上で運動は,普遍的かつ個別事例に適用可能な形で定義された.

訳注

  • Hussey に倣い変項のように用いられている τόδε を適宜 A, B に置き換えた.

先行研究

いずれも Hussey.

  • ここで「作用するものと作用を受けるものの各々に現実態 (作用と受動作用) があり,どちらも運動である」ことは前提される.さらに,「どちらも作用を受けるもののうちにある」ことは否定されるが,「別々のものではありえない」という結論は維持される.二つの運動の同一性が本節で示される.
  • ライプニッツ則は無制約に妥当するわけではない; sameness 'in being' には妥当する (十分条件).だが必要条件はここで明示されていない.
  • b19-22 の背後に以下のような考えがある: ある X, Y について X=Y かつ φ(X), ¬φ(Y) のとき,ある Z が存在して X=Z, Y=Z であり,かつある述語 α, β が存在して α(Z) かつ β(Z) (ただし α(Z) ↔︎ φ(X), β(Z) ↔︎ ¬φ(Y)). ここでは X: 作用,Y: 受動作用,Z: 運動.
    • 〔ちょっと分からない.本当にこんな一般的な話をしているのだろうか?〕
    • なお Hussey はヘラクレイトス的な道の例について Wiggins を参照している.

メモ

  • b21 の中性形をどう処理していいかよく分からない.
  • Hussey は b26-28 の一文を訳していない.理由は不明.