『メタフュシカ』B6 原理の性質に関するアポリアイ

Met. B6 (Aporia 13-15 (Madigan)).

[1002b12] 総じて,感覚可能なものどもと中間的なものどもを超えた幾らかのもの,例えばを我々がイデアとして立てたもの,をも探求しなければならないのは何ゆえか,ということを,ひとは難問とするかもしれない.というのも,此岸の事柄のうち,数学的な事柄は他の或るものと異なるが,何か多くのものが同じ種類であるという点においては何ら異なりはせず,したがってそれらの諸原理が数によって画定されるのでなければ (ちょうど,こちらの全ての文字の諸原理は数の点で画定されているわけではなく,むしろ種の点で画定されているから––もしまさにこの音節またはこの音声の〔諸原理〕を把握するのでないなら.そうしたものの〔諸原理〕は数の点でも規定されているのだ.中間のものどもについても同様である.そちらでも同種のものは無限であるから)−−〔話を戻すと〕したがって,感覚可能なものどもと数学的なものどもを超えて,我々が何らかのイデアであると語るような何か他のものがあるわけではないとすれば,数の点ではなく種の点で一つの本質存在があるのだろうし,〈あるもの〉どもの諸原理は数的に幾つかのものであるわけではなく,むしろ種的に幾つかのものであるのだろう.

[1002b25] したがって,このことが必然であるとすれば,イデアもこのことのゆえにあるということを措定することが必然である.というのも,〔イデアを〕語る人々が見事に明瞭な議論をしていないとしても,このことを彼らは欲しているのであり,彼らがこれらのイデアを語るのは必然である.というのも,各々のものはイデアの或る本質存在であり,付帯的ではないからである.

[1002b30] しかし実際,イデアがあり,諸原理は数の点では一であるが種においてはそうではない,と我々が立てるとき,必然的に帰結する不可能なことどもを我々は述べておいたのである.

[1002b32] 以上の事柄に近いのは,基本要素は可能的にあるのか,それとも何らか別の仕方であるか,ということをアポリアーとすることである.というのも一方で,別様にあるなら,諸原理とは異なる何かがより先にあることになるだろう (というのも,可能態はかの原因より先にあり,可能なものが全てかの仕方であることは必然ではないから).他方で,基本要素が可能的にあるなら,〈あるもの〉どものうち何もないということがあってよい.というのも,まだありはしないものも,あることは可能だから.というのも,〈ありはしないもの〉が生成するとしても,あることが不可能なものどものうちなにも生じないからである.

[1003a5] さて,これらのアポリアーが諸原理についてアポリアーとされること,および,普遍的にあるのか,それとも我々が述べるように個別的な事柄であるのか,ということがアポリアーとされること,は必然である.というのも,一方で普遍的であれば,諸本質存在ではないだろうし (というのも,共通の事柄のうちの何も〈或るこれ〉ではなく,むしろ〈こうしたもの〉であるが,本質存在は〈或るこれ〉だから.〈或るこれ〉があり,共通に述定されるものを取り出しうるなら,ソクラテスは多くの動物であるだろう.すなわち彼自身であり,人間であり,動物であるだろう−−各々のものが〈或るこれ〉すなわち一つのものを意味表示するのであれば)−−〔話を戻すと〕もし諸原理が普遍的であれば,以上のことが帰結する.他方,普遍的でなく個別的な事柄としてあるのなら,理解可能な事柄はないだろうし (というのも,全てのものの学知は普遍的だから),したがって,諸原理の学知があるだろうとする限りで,諸原理に先立つ,普遍的に述定される諸原理があることになろう.

要約

  • A13: 感覚的対象と数学的対象に加えてイデアを立てるべきか.
    • 彼岸に数的に無限のものがあるとすると,不合理.
    • 他方,イデアを立てることの諸困難はすでに述べられた.
  • A14: 基本要素は可能的にあるのか,現実的にあるのか.
    • 現実的にあるなら,可能態が先行してあることになり,不合理.
    • 可能的にあるなら,〈あるもの〉がなにもないということがありうる.
  • A15: 原理は普遍的にあるのか,個物としてあるのか.
    • 普遍的にあるなら,原理は (個的な) 本質存在ではなくなる.
    • 個別的なら,学知が成立しえない.