『メタフュシカ』Γ4 #1 無矛盾律擁護の方法論

Met. Γ4 1005b35-1006a28.

[1005b35] 先述の通り,「同じものがあり,かつありはしない,ということがあってよく,またそのように想定してよい」と主張する或る人々がいる.自然学者に属する多くの人々もこの議論を用いている.我々はいま「同時に,あり,かつありはしない」ことは不可能であるものとして把握してきているのであり,またそのことを通じて,この原理が全ての原理の中で最も確実であるということを示した.事実,このことをも論証することが相応しいと,或る人々は無教養のゆえに考えているのである.というのも,或るものどもの論証は探求すべきであり,或るものどもの論証はそうすべきでない,ということを認識していないのは,無教養であるから.というのも,全ての事柄に論証があるということは全く不可能である一方 (というのも,無限に進みうるのであり,その結果,そのようにしても論証がありはしないから),或るものどもについて論証を探究すべきでないとすれば,何がそうした〔確実な〕原理であることが相応しいと考えているかを,彼らは言うことができないのである.

[1006a12] このことについても,論争している人が何かを語っているときにのみ,不可能であることを論駁的な仕方で論証することができる.もし〈ないもの〉〔を語っている〕なら,〈ないもの〉の議論をもつ人に対して,その人がなんら議論をもたない限りで,議論を探求するのは笑うべきことだろう.そうした人は,そうした人としては,それだけで直ちに,植物同然である.論駁的に論証することは〔単に〕論証することとは異なる,と私は言う.なぜなら,論証する人は原理のうちにある事柄を要請していると思われうる一方,他の人がそうしたことの責任を負うときには,論駁があり,論証はないであろうから.「何かがあるか,ありはしないかであることが相応しい」と語ることは,全てのそうした事柄に対する手始めではなく (というのも,このことは直ちに,初めから要求することである,と想定しうるから),むしろ彼自身や他の人にとっても何かをとにかく意味表示しているということがそうであるから.というのも,およそ何ごとかが語られる限り,それは必然だから.というのも,さもなければ,そうした人にとって議論はないだろうし,そうした人にとっては,それ自体に関しても,他の事柄に関しても〔議論はない〕だろうから.これを認めるとすれば,論証があるだろう.というのも,すでに何かが規定されているだろうから.だが,論証する人に責任があるのではなく,留まる人に責任があるのだ.[さらに,これに同意する人は,論証を離れて或る真理に同意したのであり,したがって全てのことが「そのようであり,かつそのようでない」ことはできない.]

  • 「P があり,かつありはしない」ということを,多くの自然学者は認める.他方,我々はこれを不可能とみなし,不可能であることが原理であると示した.
    • これが論証できないことを彼らが知らないのは〔分析論に関する〕無教養である.
      • 「一般に,論証不可能な原理がある」としなければ,無限背進する.
      • 他方,これを認めるとして,無矛盾律以外の確実な原理の候補を彼らは挙げることができない.
  • 何かを語っている場合にのみ,論駁的論証がありうる.
    • 「〈ないもの〉についての議論をもつなら,何ら議論=言葉をもたない」というソフィスト的な議論にもとづくなら,彼らは言葉をもたない植物同然である.
    • 何かを語っているなら,「何かを意味表示している」ということを出発点にした論駁的論証 (≠ 論証) が可能である.

先行研究

  • 1006a3 について CN: "On doit comprendre εἰλήφαμεν absolument ... et supposer qu'il est modifié ... par le génitif absolu"; 訳は "nous nous en tenons depuis tout à l’heure à l'idée qu'il est impossible ...".
  • CN: "γελοῖον τὸ ζητεῖν λόγον πρὸς τὸν μηθενὸς ἔχοντα λόγον, ᾗ μηθένα ἔχει λόγον" (EJ). これは "ᾗ μὴ ἔχει" (Ab) よりよい.すなわち EJ が示すのはソフィスト的な論法である (cf. Pl. Sph. 237e); "il s'en sert pour mettre hors jeu, hors humanité, l'adversaire du principe ..." (cf. 'ὅμοιος γὰρ φυτῷ' (1006a14f.)).「ロゴスをもつ/もたない」は人間の定義項に他ならないからだ.他方,'ζητεῖν λόγον' は後ほど「論証の探求」の意味でも用いられており,ここでの用法は一種の言葉遊びになっている.
  • ἀρχή には「出発点」(1006a18) と「原理」(a5, 11) の二義あり,'αἰτεῖσθαι τὸ ἐν ἀρχῇ' と 'τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν' にはどちらの意味もはたらいている.