『メタフュシカ』B4 1001a29-b25 〈一〉の存在論的身分
Met. B4 1001a29-b25 (Aporia 11 後半部).
[1001a29] だが,何か〈あるもの〉そのものや〈一〉そのものがあるだろうとすれば,それらを超えた別の何かはいかにしてあるだろうか,ということが,大いなるアポリアーであろう.私が言うのは,〈あるものども〉がいかにして一より多くあるのか,ということである.というのも,〈あるもの〉とは別のものはありはしないのであり,したがってパルメニデスに従い,全部の〈あるもの〉どもは一であり,それは〈あるもの〉であるという議論が帰結することが必然である.
[1001b1] どちらの仕方でも困難がある.というのも,もし〈一〉が本質存在でありはせず,同じ〈一〉であるのでないとすれば,数が本質存在であることは不可能である.したがって,もし〔本質存在・同一の〈一〉で〕あらぬとすれば,何のゆえにかは先に語られた.他方,もし〔本質存在・同一の〈一〉で〕あるとすれば,〈あるもの〉についても同じアポリアーがある.というのも,〈一〉を超えて何から他の〈一〉そのものがあるだろうか? というのも,〈一〉でありはしないことは必然だから.全ての〈あるもの〉どもは一つであるか,一つの各々のものが属する多であるかである.
[1001b7] さらに,〈一〉そのものが不可分なら,一方ゼノンの要請に従って,何ものもありはしないだろう (というのも,付加されても除去されても,より大きくすることのないものを,彼は〈あるもの〉どもに属しない––というのも,〈あるもの〉は大きさであることは明らかだから––と彼は主張する.そして,大きさであるなら,物体的である.というのも,これはあらゆる点で〈あるもの〉だから.他のものどもは或る仕方では付け加えられて大きくし,或る仕方ではそうしない,例えば表面や線のように.他方,点や単位はどんな仕方でも〔大きくしない〕).他方しかし,この者は粗雑に観照しているために,彼に対しても何らかの弁明があるような仕方で,〔〈一〉が〕不可分であってはならないことにもなっているのである.(というのも,そうしたものは付け加えられることで,より大きくはしないが,より多くするのだから).
[1001b17] しかし,いかにして,そうした一つのものから,ないしはそうしたより多くのものから,大きさがあるだろうか? というのも,線が点からあると言うことも同様であるから.しかし実際,或る人々が語るように,〈一〉そのものと他の或る〈一ならぬもの〉から数が生じるという仕方で想定しても,やはり何のゆえに,またいかにして,生成するものが或るとき数であり或るとき大きさであるのだろうかということを探究しなければならない––〈一ならぬもの〉は不等性であり,同一の本性であったのだから.というのも,諸々の大きさが〈一〉と不等性からどのように生じうるのかということも,何らかの数と不等性からどのように生じうるのかということも,明らかではないから.
要約
先行学説への参照 (ないし allusion) がかなり入り組んでおり,理解困難.いずれ再読したい.