『テアイテトス』151d7-152c7 「知識=感覚」の措定.人間尺度説的な説明

Tht. 151d7-152c7. いわゆる第一部冒頭から.テクストは旧 OCT を用いる.とりあえず主に Burnyeat を見ながら読む.

[151d7] テアイテトス いや,ソクラテス,あなたがそのように激励なさるのであれば,持っているものをあらゆるやり方で語ることに意を尽くさないのは,恥ずべきことです.では,「知っていることを何か感覚しているのだ」と私には思われますし,今現れるところでは,知識とは感覚に他なりません.

ソクラテス まことに善く,見事だよ,君.そのように披瀝して語る必要があるのだからね.さあでは,一緒にそれを考察しよう.実りあるものか,それとも空っぽなのかをね.「感覚が知識である」と君は主張するのだね?

テアイテトス はい.

ソクラテス しかし,知識について君が述べた規定は,つまらないものではないかもしれない.むしろプロタゴラスもその規定を語ったのだ.或る別の仕方で,彼は同じことどもを語っている.というのも彼はある箇所で,人間が「あらゆる物の尺度」である,「〈あるものども〉についてはあることの,〈ありはしないものども〉についてはありはしないことの」––と述べているからだ.どこかで聞いたことがあるだろう?

テアイテトス あります,それも何度も.

ソクラテス すると,何かこういう風に彼は語っているのだ––一方で,私に各々のものとして現れるようなものどもは,私にとってそうあり,君に〔各々のものとして現れるような〕ものどもは,やはり君にとってそうある.他方で,君と私とは人間だ.

テアイテトス はい,彼はそのように語っています.

ソクラテス いや,〔プロタゴラスのような〕賢い男は,おそらく馬鹿なことは言わないだろう.彼のあとに付いてゆこう.いったい,同じ風が吹いているときに,我々の一方には寒いものとして吹き,他方にはそうでない,ということが,時にはないだろうか? また一方にはおだやかに,他方には非常に〔寒い〕ということが?

テアイテトス もちろんあります.

ソクラテス ではそのとき,風がそれ自体で冷たいとか,冷たくないと我々は主張するだろうか? それとも,プロタゴラスに従って,寒さに震えている者にとっては寒く,そうでない方の人には寒くないと主張するだろうか?

テアイテトス 〔後者だと〕思われます.

ソクラテス すると,そのように両者の各々に現れもするのだろうか?

テアイテトス はい.

ソクラテス 「現れる」こそ,感覚することではないか?

テアイテトス そうですとも.

ソクラテス したがって,現れと感覚は,熱いものや,そうした全てのものにおいて,同じものなのだ.というのも,各人が感覚するようなものどもは,おそらく各人にとってありもするのだろうから.

テアイテトス そう思われます.

ソクラテス したがって,感覚はつねに〈あるもの〉の感覚であり,虚偽ではないのだ––知識であるようにね.

テアイテトス そう見えます.

要約

テアイテトスは「知識とは感覚である」という定義を行う.ソクラテスは「その定義とプロタゴラスの説は同じことを別の仕方で述べている」と指摘する.すなわち,プロタゴラスの説では,

  • 人 A に F と現れるもの x は,A にとって F である (≠ x がそれ自体で F である).

他方,「x が A に F と現れる」とは,「Aが F(x) であることを感覚する」ことに他ならない.このとき現に (A にとって) F(x) である.したがって,感覚は (現に・虚偽ではなく)〈あるもの〉の感覚となる.ゆえに知識だと言うことができる.

先行研究

  • Burnyeat:「知識 = 感覚」は次の二つに分解できる: (1) 全ての感覚は知識である,(2) 全ての知識は感覚である.(うち (2) の前提と帰結は今のところ明らかでない.)
    • ここで感覚 (perceiving) は対象 (object) ではなく 'that such and such is the case' の感覚である (McDowell も同様の指摘を行う.ただし彼によれば,プラトン固有の感覚概念はむしろ前者).この決定は後々効いてくる.
    • プロタゴラスの尺度説が感覚に言及していない以上,(1) を導くには,「感覚=現れ」という追加の前提が必要である.この前提は,プラトンが真だと思っていたから挿入されたのか (Reading A),それともテアイテトスが「感覚=知識」と言うために何らかの判断・概念化の要素を要したために挿入されたのか (Reading B),という選択肢がある.テクストには書かれていないので,議論全体を見て良い方を決める必要がある.