『メタフュシカ』Γ2 1003b19ff.〈あるもの〉と〈一〉の同一性

Met. Γ2. 1003b19-1004a9.

[1003b19] 全ての単一の類には単一の感覚と知識とがある.例えば文法学は一つでありつつ全ての音声を観照する.それゆえ,〈あるもの〉のあるだけの数の諸類や諸類の諸類を観照することも,類の点で一つの学知に属する.〈あるもの〉と〈一〉は,原因と原理のように,互いに随伴するという点では同一であり単一の自然本性であるが,一つの説明規定によって明らかにされるから〔一つの自然本性であるの〕ではない.だが,同様の仕方で我々が理解するのであっても,なにも違いはないだろう.むしろ,より有用である.というのも,「一人の人間」と「あるところの人間」と「人間」は同一であり,「人間である」と「人間」と「一人の人間」が言葉づかいにもとづいて繰り返されても,別の何かが明らかになるわけではないから.生成についても消滅についても離在するわけでもないことは明らかである.〈一〉についても同様である.したがって,これらの場合において追加が同一のことを明らかにし,〈一〉が〈あるもの〉を超えた他のものであるわけでは決してない.さらに,各々のものの本質存在は付帯的でない仕方で一つであり,〈まさに何かであるもの〉も同様である.

[1003b33] したがって,〈一〉の諸類とまさに同じだけ,〈あるもの〉の諸類もある.これらをめぐって〈何であるか〉を観照することも類の点で同一の学知に属する.私が言うのは,例えば,同一のものや,似たものや,他のそうしたものどもをめぐって,ということである.ほとんど全ての反対者たちが,この原理へと還元される.これらのおとは『反対者の選択』において我々に観照されている.また諸本質存在があるのとちょうど同じだけ哲学の諸分野がある.したがって,それらのうちに,何らかの最初のものと,引き続くものとがあることは必然である.というのも,〈あるもの〉と〈一〉は直ちに諸類を持ちはじめるから.それゆえ,諸学知もこれらに随伴するだろう.というのも,哲学者は数学者と同様に語られるから.というのも,この学知〔=数学〕も諸部分を有するのであり,数学的諸学のうちに,何らかの第一の学知と第二の学知,その他の引き続く諸学知があるから.

要約

CN に従って区分していたが,冒頭はむしろ前回の議論に属するかもしれない.

  • 単一の類に単一の学知があるので,〈あるもの〉にも〈あるもの〉の学知がある.
  • 〈あるもの〉と〈一〉は共外延的である限りでは同一・単一の自然本性である.
    • 説明規定は同一ではないが,同一だとしても問題はない.
      • 「人間」「人間である」「一人の人間」という表現は同じ情報しかない.
      • 本質存在も属性も非付帯的に〔=自体的に〕一つである.
  • したがって,〈あるもの〉の観照と〈一〉の観照は同一の学知に属する.
    • これらには下位分類があり,学知もそれに沿って分類され,順序づけられる.

先行研究

  • CN: 1003b26-29 は Ab と EJ でだいぶ違う.後者の方が読みやすく,かつ後者でのみ κατὰ τὴν λέξιν ἐπαναδιπλούμενον が意味をなす (前半の λόγος と後半の λέξις が対応する).また Ross のように ὁμοίως δὲ καὶ ἐπὶ τοῦ ἑνός に不審を抱く必要もない: これは近接する οὔτ᾽ ἐπὶ γενέσεως οὔτ᾽ ἐπὶ φθορᾶς とパラレルで,これらが du point du vue de l'être として du point du vue de l'un と対置されている.
  • CN: 1004a4-5 で Natorp 以来の校訂は〈一〉への言及を削除しているが,こうした方針は〈一〉(の類) と〈ある〉(の類) の対応の problématique に反するように思われる.(CN はこれを Γ2 全体の構造から論じている.全部読んでから戻りたい.)

メモ

  • Vid. Berti, "La riduzione dei contrari in Aristotele" (未見).