『メタフュシカ』Γ2 1003a33-b19 〈あるもの〉の学知の統一性

Met. Γ2 1003a33-b19.

[1003a33] 〈あるもの〉は一方では多様に語られるが,しかし一つのもの,すなわち或る一つの自然本性に対して〔語られるの〕であって,同名異義的にではなく,むしろ,ちょうど〈健康なもの〉も全て健康に対して〔語られる〕ように〔語られるの〕である.すなわち〈健康的なもの〉の或るものは〔健康を〕保つことによって,或るものは〔健康に〕することによって,或るものは健康のしるしであることによって,或るものは健康を受容しうることによって〔健康的であると語られるのであり〕,また〈医術的なもの〉は医術に対して〔語られるのであり〕(というのも,その或るものは医術を有することによって医術的であると語られ,或るものは医術に対して適していることによって,或るものは医術の所産であることによって医術的であると語られるから),他のことどももこれらと似たような仕方で語られていると我々は見なすであろう.

[1003b5] そのようにして,〈あるもの〉も一方では多様に語られるのだが,他方で全ては単一の原理に対して語られるのである.というのも,或るものどもは本質存在であるがゆえに〈あるものども〉と語られ,或るものどもは本質存在の諸属性であるがゆえに,或るものどもは本質存在への道であるか,本質存在ないしは本質存在に対して語られることどもの,消滅であるか,欠如であるか,質であるか,制作的であるか,生成的であるがゆえに,あるいはこれらの何かの,または本質存在の否定であるがゆえに〈あるものども〉と語られる.それゆえに,〈ありはしないもの〉も〈ありはしないもの〉であると我々は述べるのである.

[1003b11] それゆえ,健康的なものども全部にも一つの学知があるように,他のことどもについてもこのことは同様である.というのも,一つのものに関して語られることどもにのみ単一の学知の観照があるのではなく,単一の自然本性に対して語られることどもにもあるのである.というのも,これら〔後者のことども〕も或る仕方で一つのものに関して語られるから.それゆえ,〈あるものども〉を〈あるものども〉として観照することも単一の学知に属することは明らかである.

[1003b16] 全く支配的な仕方で,〔この〕学知は第一のものの学知であって,他のものどもはそれ〔=第一のもの〕に依存しており,またそれを通じて語られるのである.そこで,これ〔=第一のもの〕は本質存在なのだから,諸本質存在の諸原理と諸原因を哲学者は有している必要があろう.

要約

  • 〈あるもの〉は多様に語られる.より詳しく言えば,同名異義的にではなく,帰一的に (単一の自然本性=原理に対して) 語られる.
    • 帰一的なものの他の例: 種々の健康的なもの−−健康に対して,種々の医術的なもの−−医術に対して.
    • 〈あるもの〉の場合: 〈あるものども〉−−〔本質存在に対して〕.
      • 〈あるものども〉の例:
        1. 本質存在,本質存在の属性,本質存在への道,
        2. 本質存在やそれに対してあるものども (=〈あるものども〉) P について,P の消滅・欠如・質,P を制作する・生み出すもの,
        3. a, b の否定.
  • 帰一的に語られるものどもは,或る意味で一つのものに関して語られる.
    • ∴ それらには単一の学知がある (e.g. 健康なものども).
    • ∴〈あるもの〉としての〈あるもの〉にも学知がある.
  • 〈あるもの〉の学知は第一のものの学知であり,他のものは (i) 第一のものに依存し,(ii) 第一のものを通じて語られる.
    • 第一のものは本質存在である.
    • ∴〔第一のものの探究をこととする〕哲学者は,本質存在の諸原理を把握するべきだ.

先行研究

  • CN は Γ2 を 1003a32-b19, 3b19-4a9, 4a9ff. の三段階に区分する.第一段階 (本箇所) では,Γ1 で存在が示されている学知の統一性 (unité) が,学知の対象の統一性から推論される.
  • Kirwan は同じことを,次のような形而上学批判への反論として捉える:「ある designating expression (e.g. 一般名詞) の存在は,それについての学知の存在を保証しない (cf. EE I 8).
    • 「多様に語られる」というアリストテレスの表現は厳密な解釈に堪えない (see notes on Δ7).他方,あるの多義性が元々の批判を支持するかどうかには疑念が残る.例えば NE I 6 の「善」に関する単一の知との類比は成り立たない; プラトン的 'what is good?' に対応するのは 'what exists?' であり*1,Γ の形而上学はこのような問いには関知しない.
  • Kirwan: Substance を focal concept とする議論については,アリストテレスの以下の前提を念頭に置くべき.(i) 「x は〈あるもの〉だ (in effect, 'x exists')」は「x は F である」に分析できる,(ii) 'F' に代入される表現はつねに何らかの substance を参照している,(iii) (ここでは微妙だが,他の箇所によれば)〈あるもの〉はカテゴリーと同じだけある.
  • Kirwan: "[T]he existene of denials explains why we can say that what is not is a thing that is not. Here lurks the false assumption that in a sentence of the form 'x is φ' the function of the copulative 'is' must always be to assert the existence of something." (81)
    • 〔これは謎.ここはそんな話をしているんだろうか.〕

メモ

  • ὁδός が何かわからない.
  • 〈あるものども〉の特徴づけが再帰的になっているのはおもしろい.
  • Kirwan は明らかにずっと Owen 1960 の圏内で話をしている.掘れば英語圏の文献がいくらでも出てくるはず.

*1:本当に?