『メタフュシカ』Z4 #2 本質と定義の関係.定義とはいかなるものか
Metaph. Z4 1030a2-27.
[1030a2] だが,コートにとっての〈あること〉は,総じて本質なのであろうか,それとも,そうではないのだろうか? というのも,本質とは,まさに或るものであるものだから.或るものが他のものについて語られるとき,まさに〈或るこれ〉であるのではない.「これ」は諸実体にのみ属する以上,例えば白い人はまさに〈或るこれ〉ではありはしない.
[1030a6] したがって,本質とは,それらの説明規定が定義であるところのものどもである.定義があるのは,名辞が説明規定と同一のものを意味表示するような場合ではなく (というのも,〔そうした場合には〕すべての説明規定が定義となろうから.というのも,いかなる説明規定にも名辞があることになり,したがって「イリアス」も定義となるだろうから),なにか第一のものに〔説明規定が〕ある場合である.そうしたものどもは,或るものが他のものについて語られることによって語られはしない限りのものどもだから.したがって,類の諸種でないもののどれにも,本質が帰属しはしないだろう.むしろ,これらにのみ属するのである.(というのも,これらは,分有ないし属性に即して語られるのでも,付帯的なものとして語られるのでもないと思われるから.) むしろ,名辞があるのであれば,各々のものの説明規定,すなわち他のものどもの〈何を意味表示するか〉があるだろう.すなわち,「これがこれに帰属する」というものが.あるいは,端的な説明規定に代えてより正確な説明規定があるだろう.だが,定義も本質もありはしないだろう.
[1030a17] それとも,定義もまた,〈何であるか〉と同様に,多様な仕方で語られるのだろうか? というのも,〈何であるか〉は一つの仕方では本質存在すなわち〈或るこれ〉を意味表示するのに対し,他の仕方では述定される事柄の各々,量・質・他のそうしたもの全てを意味表示するから.というのも,「ある」は全てに帰属するが,〈或るこれ〉には第一に,述定には付随的に,同様ではない仕方で帰属するのだが,ちょうどそのようにして,〈何であるか〉も端的に本質存在に帰属し,何らかの仕方で他のものどもに帰属するから.というのも,質が何であるかを我々は言いうるのであり,したがって,質は諸々の〈何であるか〉に属するのではあるが,しかし端的にではなく,むしろ,ちょうど〈ありはしないもの〉について人々が論理学的に「〈ありはしないもの〉は,端的な仕方でではないが,ありはしないものである」と主張するような仕方で,質もあるのだから.
要約
- だが,コート = 白い人にとっての〈あること〉は本質ではないとも思われる.
- 本質とは「まさに或るものである」ものだが (Hop),白い人は述定関係を含む以上「まさに〈或るこれ〉である」わけではないから.
- (Hop) より,本質とは,その説明規定が定義であるような事柄である.
- 説明規定が定義となるのは,「名前 = 説明規定」の場合ではなく,説明規定が第一のもの (他のものに述定されないもの) に属する場合であると思われる.
- ゆえに,種のみが本質・定義を有する.
- およそ名前があるものは,述定関係に立ち,また個々の説明規定の正確さに違いはある.しかしいずれにせよ,どれも定義ではない.
- しかしながら,定義も〈何であるか〉と同様に,多様に語られるのかもしれない.
- 〈何であるか〉は〈ある〉と同様に,第一に本質存在カテゴリーに帰属し,付随的に他の諸カテゴリーに帰属する.
- 説明規定が定義となるのは,「名前 = 説明規定」の場合ではなく,説明規定が第一のもの (他のものに述定されないもの) に属する場合であると思われる.