『自然学』II 8 #2 目的論擁護

Phys. II 8 198b32-199a20.

[198b32] さて,以上の議論や,あるとすれば他のそうした議論が,それについて人が難問とするかもしれない言論である.しかし,この方式を取ることは不可能である.というのも,以上の事柄,すなわち全ての自然的な事柄は,つねに,あるいは大抵の場合そのような仕方で生じるのだが,偶然から来る事柄や,自発から来る事柄は,どれもそうではない.というのも,冬にしばしば雨が降るのは,偶然から来ることでも,偶発から来ることでもないと思われるが,シリウスの時季に〔雨が降る〕とすれば〔それは偶然から・偶発から来ていると思われる〕.またシリウスの時季の炎暑も〔偶然から・偶発から来るのでは〕ない〔と思われるが〕,しかし冬の〔炎暑は偶然から・偶発から来ると思われる〕.そこで,もし偶発からあるか,何かのためにあるかのいずれかであると思われるのだから,以上の事柄が偶発からあるのでも自発からあるのでもありえないとすれば,何かのためにあるのだろう.しかし実際,こうしたこと全ては少なくとも自然本性的にあるのだ−−上記のことを述べる人々自身も認めるであろうように.したがって,〈何かのために〉は,自然本性上生成しまたあるものどものうちにあるのである.

[199a8] さらに,何らかの目的がそれらのうちにある限りのものどもにおいては,先行する事柄と次の事柄はその目的のために為される.そうであるなら,個々の事柄は,何かが妨害しなければ,為される仕方で本性上あり,本性上ある仕方で為されているのである.他方,為されるのは何かのためにである.したがって,本性上あるのも何かのためにである.例えば,かりに家が自然本性上生じたものに属していたなら,現在技術によって生成する仕方で,生成することだろう.他方かりに,自然的な事柄が,自然によってのみならず,技術によっても生成するのであったなら,自然本性上ある事柄と同様にして生じただろう.したがって,あるものが別のもののために〔生じただろう〕.総じて,技術は自然が完成させることのできないものを完成させる一方,そうでないものを模倣するのである.それゆえ,技術に即した事柄が何かのためにあるのであれば,自然に即した事柄も〔何かのためにある〕ことは明らかである.というのも,技術に即した事柄においても,自然に即した事柄においても,互いに対して,すなわち後続する事柄は先行する事柄に対して,同様であるからである.

要約

目的論を擁護する議論を二つ提示する.

  1. 頻度による論証.
  2. 偶然から来るのでない自然的事象 (= 常に・大抵の場合にある事柄) はある.
  3. およそ事象は,偶然から来るか,何かのためにあるかのいずれかである.
  4. したがって,若干の事象は何かのためにある.
  5. 技術との類比.