『自然学』II 8 #1 目的因の措定に対する反対意見

Phys. II 8 198b10-32.


[198b10] まず,何ゆえ自然が〈何のために〉の諸原因に属するのかを語らねばならず,その次に,必然的な事柄について,それが自然的な事柄においてどのようにあるのかを語らねばならない.というのも,誰もがこの〔必然という〕原因へと還元しているのである––「熱や冷やそうしたものの各々は,本性上このようなものであるのだから,必然的にこうあり,こうなる」ということへと.というのも,人々が他の原因をも語っているとしても,それに触れてからは打ちやっているのだ––或る人は友愛と憎悪を,或る人は知性を.

[198b16]「自然が何かのためになすのでも,より良いことをなすのでもなく,むしろ,ちょうどゼウスが,穀物を育てる仕方で雨を降らすのではなく,必然から雨を降らすであろうような仕方でなすということを,何が妨げるのか」ということには,難問がある (というのも,上昇したものは冷やされねばならず,冷やされたものは水になって下降しなければならないから.このことが生じることで,穀物の成育が帰結するのである).同様にして,穀物脱穀場においてなんらかの仕方で台無しになるとしても,そうなるために,穀物が台無しになる仕方で雨が降るのではなく,そのことは付帯したのである.したがって,自然のうちの諸部分もこのようであることを,何が妨げるだろうか? 例えば,歯は必然的に次のようにして生えている––すなわち,前歯は鋭く,切断するのに適しており,その一方で臼歯は平坦で食物を砕くことに対して有用である−−のだが,それのために生成したのではなく,むしろ偶々そうなったのである,ということを〔何が妨げるだろうか〕? 他の諸部分についても同様であり,〈何のために〉がそれだけの数のことどものうちに帰属すると思われる.ゆえに,全てのことがあたかも何かのために生成したかのように帰結したのである場合には,これらは自ずから適した仕方で構成されて生き延びたのであり,そのようでなかった限りのものどもは,滅びたのであり,滅んでいるのである––ちょうどエンペドクレスが人面をもつ牛の子供のことを語っているように.

要約

  • 先行学説はもっぱら必然という原因 (「X なら必然的に Y になる」ときの Y に対するX)のみを扱っている.
  • 実際,この意味での X のみが原因であり,Y の〈何のために〉は付帯的であるかもしれない.
    • 〈何のために〉に偶々適するものが生存し,適さないものは滅びたのだとも考えられる.

文献注