『自然学』II 4 #1 偶然はある

Phys. II 4 195b31-a24. 今のところ言及すべき大きな論点は特にない.


[195b31] 偶然と自発的な事柄とは諸原因に属するのであり,多くのことが偶然ないしは自発的な事柄によってあり,また生じる.それゆえ,いかなる仕方でこれら諸原因のうちに偶然と自発的な事柄とがあるのか,および,偶然と自発的な事柄とは同一であるのか異なるのかどうか,および総じて偶然や自発的な事柄とは何であるか,が省察されなければならない.というのも,幾人かの人々は,あるかあらぬかということさえ,行き詰まりとしているのである.というのも,この人々が主張するには,「実際のところは何ものも偶然によって生じはしない,むしろ,自発的に,ないしは偶然に生じたと我々が語る限りの全てのものには,何らかの定まった原因があるのである――例えば偶々市場に行き,捕まえることを望んではいたが捕まえようと思ってはいなかった人を捕まえることは,市場に行って買い物をしようと望んでいたことがその原因となる.同様にして,偶然に生じると語られる他の事柄に関しても,つねに何らかの原因を把握することができるのであり,偶然ではないのである――実際かりに何らかの仕方で偶然であるなら,真に奇妙であると思われただろうし,いったいなぜ古の知者たちの誰も生成と消滅の諸原因を論じながら偶然について何も規定しなかったのかを行き詰まりとしえただろうが,思うにかの人々も決して偶然にあるとは考えなかったのだから」ということだ.だが,それもまた驚くべきことである.というのも,偶然に,また自発的に,多くのものが生じ,あるのであって,ちょうど偶然を排除する昔の言論が述べるように,それらに関して,生成するものどもの各々を何らかの原因に帰することができるということを知らないわけではないのに,それでもなおこれらの或るものは全て偶然にあり,或るものは偶然にあるのではないと,人々は語っているのだから.このことのゆえに,ともあれ何らかの仕方で,知者たちによって言及がなされるべきであった.しかし実際,少なくともこれらの或るもの――すなわち友愛,憎しみ,知性,火,少なくともそうしたものの何か――が偶然のことであるとも,彼らは考えなかった.したがって,偶然や自発的な事柄があると想定していたにせよ,それらを無視していたにせよ,奇妙であって,時にはそれらも使っていたのである,ちょうどエンペドクレスが「空気はつねに最も高いところに離存するわけではなく,偶然の場合には……」と述べるように.そして実際,彼は宇宙形成論において,「あるときは偶々このように動き,しばしば別様に動く」と語っており,また,動物の諸部分も大半は偶々生成したと主張している.

要約

  • 問題:
    1. 偶然や自発的な事柄が原因となる方式.
    2. 偶然と自発的な事柄は同一か.
    3. 偶然や自発的な事柄とは何であるか.
  • 或る人々は,偶然や自発的な事柄があることを疑う.
    • 論拠1: 偶然に生じたと語られる物事にも,実際は定まった・把握可能な原因がある (広場で人に出くわす例).
    • 論拠2: 古の知者も偶然を生成消滅の原因に数えなかった.
  • だが,そうした考えは奇妙である.
    • 反論1: 何か原因があると了解しながらも,人々はなお偶然について語っており,それは説明を要する.
    • 反論2: エンペドクレスのように偶然や自発性を説明に用いた例はある.