『メタフュシカ』E2 #2 付帯的な事柄の本性と原因

Met E2 1026b24ff. けっこう難しい箇所だと思うのだけど,Ross も Kirwan もあまり多くを述べていない.


[1026b24] しかしさらに,同様にして,許容される限りで,付帯的な事柄について,その自然本性が何であり,いかなる原因のゆえにあるのか,ということを述べねばならない.というのも,おそらく,何のゆえにそれについての学知がありはしないのかということは,もしかすると〔自然本性や原因と〕同時に明らかになるかもしれないから.さて,〈あるもの〉どものうち,或るものはこのように常にかつ必然的に (強制的に語られる必然というわけではなく,別様であることが許容されないという点において我々が語るところの必然から) あるのに対し,或るものは必然的にあるわけでも,常にあるわけでもなく,大抵の場合にあるのだから,この原理,この原因が,付帯的な事柄があることの原理であり原因である.というのも,常にあるわけでも大抵の場合にあるわけでもないようなものを,付帯的であると我々は語るから.例えば,シリウスの時季に寒冷な天候になることを「付帯している」と我々は語るのだが,熱気や暖かさが付帯していると言うことはないだろう.なぜなら,一方は常に,あるいは大抵の場合にそうであるのに対し,他方はそうでないからである.また人間が白いことも付帯するが (というのも,常にそうであるわけでも,大抵の場合にそうであるわけでもないから),動物であることは付帯的ではない.また建築家が健康にすることは付帯的である,なぜなら,本性上それを行うのは建築家ではなくむしろ医者であり,建築家が医者であることが付帯したのだから.また料理人が快楽を目標にしつつ何か健康的なものを作ることはありうるけれども,調理術に即してそうするのではない.そのことのゆえに,付帯した,と我々は述べる––或る仕方ではそうするのだが,端的にそうするのではないのだ.というのも,或るものどもについては製作的諸学知が時にはそれらの能力を有するのだが,他のものどもについては規定されたいかなる技術や能力もないから.というのも,付帯的にあるものどもや生成するものどもは,その原因も付帯的だから.

[1027a8] したがって,全てのものは必然的にかつ常にありまたは生成するわけではなく,むしろ殆どのものは大抵の場合にあり,生成するのだから,付帯的にあるものがあることは必然的である.例えば色白い人に教養があるのは常にでも大抵の場合にでもなく,或るときそうなるとすれば,付帯的にであろう (そうでなければ,全ては必然的にあるだろう).したがって大抵の場合にある事柄に反して別様にあることが許容される質料は,付帯的な事柄の原因である.次の原理が把握されなければならない.すなわち,常にあるのでも大抵の場合にあるのでもないものは何もないのかどうか.あるいはそれは不可能だろうか? したがって,これらに加えて,何か偶々どちらかである事柄,すなわち付帯的な事柄があるのだ.

[1027a17] だが,大抵の場合にあるものについて,常にあるものがそのどれにも帰属しないのか,それともどれかは永遠なのか? これらのことについては後に探究しなければならないが,他方,付帯的な事柄の学知はないということは明らかである.というのも,全ての学知は,つねにあるものか,大抵の場合にあるものの知識だから.というのも,他のものをどうやって学び,教えることができようか? というのも,常にあるものか,大抵の場合にあるものについて定義していなければならないから.例えば糖蜜は発熱している人に大抵の場合に有益である––これに反する場合,つまりいつ常に・大抵の場合にないのか (例えば新月の時),を述べることはできないだろう.というのも,新月の時にということも,常にそうであるか,大抵の場合にそうであるのだから.付帯的な事柄がこれらに加えてある.さて,付帯的な事柄とは何か,どういう原因のゆえにあるのか,その学知はないということが語られた.

要約

  • 付帯的な事柄の (1) 本性と(2) 原因について考える.
    1. 付帯的な事柄とは,常に・必然的にあるのでも,大抵の場合にあるのでもない事柄である.
    2. 付帯的な事柄の原因は付帯的である.
  • 全てのものが必然的にあるわけではない以上,付帯的な事柄はある.
  • 「大抵の場合にある」ことと「常に・永遠にある」ことが両立するかどうかは保留する.
  • 学知の対象は,常にあるものか,大抵の場合にあるものかである.
    • それ以外は定義できず,教授・学習可能性を持たない.
    • 「大抵の場合に」ある事柄は,その例外事例も,やはり「常に・大抵の場合に」という仕方で確定される.

内容

  • 「付帯的な事柄があること」と「大抵の場合にある事柄」との関係について一考の余地がある (1027a8-15, またもしかすると 26b30f.).