『メタフュシカ』E2 #1 付帯的な事柄は学知の対象ではない

Met. E2 1026a33-b24. 横文字混じりだからと思ってカンマを使っていたら終止符がピリオドでないのがだんだん変な気がしてきた*1


[1026a33] だが,端的に語られる〈あるもの〉は多様に語られるのであり,その一つは付帯的に〈あるもの〉,もう一つは真なるものとしての〈あるもの〉であり,偽なるものとしての〈ありはしないもの〉であったが,これらの他に,述語の諸形式が〔〈あるもの〉で〕あり (すなわち〈何か〉・質・量・場所・時,また,もしあるなら,この仕方で表示する他の何か),さらに,これら全てに加えて,可能的または実現的に〈あるもの〉がある.

[1026b2] すると〈あるもの〉は多様に語られるのだから,第一に付帯的に〔〈あるもの〉〕について語らねばならない.なぜなら,これに関するいかなる観照もありはしないから.その証拠に,いかなる学知も,実践的であれ製作的であれ観照的であれ,これについて注意してはいないのである.というのも,家を作る人は,生じる家と同時に付帯する限りのものを作るわけではなく (というのも,〔そうした付帯するものは〕無限にあるから.というのも,作られた家が,或る人々には快適であり,或る人々には有害であり,或る人々には役に立つことや,〈あるもの〉ども全てと異なることを,何ものも妨げないが,これらの何一つ建築的な製作的学知に属さないのである),それと同じ仕方で,幾何学者も,図形にこのように付帯する事柄は観照せず,三角形と二直角を持つ三角形が異なるかどうかということも観照しないのだ.そしてそうなるのは理にかなっている.というのも,何らかの名前にすぎないがごとくに,付帯的なものはあるからだ.そのことのゆえに,プラトンは〈ありはしないもの〉をソフィスト的学知に割り当てたのであり,それは悪くない方式だった.というのも,ソフィスト的な事柄の言論とは,あらゆる事柄についてのいわばこの上なく付帯的な事柄についてのものであり,「教養あることと読み書きができることは異なるのか,同じなのか」「教養あるコリスコスとコリスコスは同じなのか」,また「あるけれどもつねにあるのではないような全てのものは,生成したものであるのか,したがって,教養ある者は読み書きのできる者になっており,読み書きのできる者は教養あるものになっているのか」だとか,他のそうしたものである限りの事柄について議論があるのだ.というのも,付帯的なものは〈ありはしないもの〉に何らか近いものであるように見えるから.〔そのことは〕こうした議論からも明らかである.というのも,別の仕方では〈あるものども〉に生成と消滅があるが,付帯的に〈あるものども〉にはありはしないから.

要約

  • 付帯的にあるものは観照の対象ではない.
    • 現に諸学知は付帯的な事柄を対象としていない (e.g. 建築術,幾何学).
    • そしてそれは合理的である: 付帯的なものとは,単なる名前のようなものだ.
      • この点で,プラトンが〈ありはしないもの〉をソフィスト的学知の対象としたのは,当たっている.
        • ∵〈ありはしないもの〉は付帯的な事柄に近い & 付帯的な事柄をソフィスト的学知は扱う.

文献注

  • 端的に語られる〈あるもの〉は……であった (ἦν)」Cf. Δ7 (Ross, Kirwan).
  • Kirwan は端的な「ある」が実在 (existence) を意味すると主張し,可能な反論を二つ斥けている.
    1. Z1 では実体のみが端的にあるとされる.−− だが,Z4 1030a32-b4 に見られるように,非実体の場合について態度未決定である.
    2. 真理は実在の種類ではない.−− だが,Δ29 では虚偽が命題・文ではなく事態の性質とされる.
  • 作られた家が……何ものも妨げないが
    • Ross: Cf. H 1043b15. 家は qua house に快適であるわけではない.
    • Kirwan はこの議論に批判的で,こうした形容詞の選択を unfortunate とし,また「湾曲」のごとき他の付帯的性質が建築学の視野に入りうること,また他学科によって研究されうることを指摘する.
  • 幾何学者も……観照しない」: Kirwan 曰くこれも駄目で,かつ Γ2, 1004b2f., 22-3 と整合しない.
  • Kirwan:「付帯的」という語は定義概念との関係で理解すべき.(「三角形」と「2R の三角形」の違いはそこで弾ける.その他のソフィスト的議論の事例は外延が一致しない分より簡単.)
  • b18-20 の論証に関する Ross の再構成の Kirwan によるパラフレーズ:
    1. Someone, being artistic, has come to be literate;
    2. so, being artistic, he is literate;
    3. so, being literate, he is artistic;
    4. but it was not always the case that, being literate, he was artistic;
    5. so, being literate, he has come to be artistic.

*1:もちろん例えば中国語だと「,。」なので変ということもないのだろうけど,カンマを選ぶ基準をひとしく適用するならピリオドを選ぶべきだろう.