『ティマイオス』29d7-31b3 宇宙製作の方針––善いもの,単一の包括的な生き物

Tim. 29d7-31b3.


[29d7] ティマイオス では,いかなる原因を通じて生成とこの万有とを構築者が構築したのかを,我々は論じましょう。––構築者は善い者だったのであり,善いもののうちには,何についてのいかなる妬みも決して生じることはありません。妬みを持たなかったので,万物を最大限に自分自身に似たものにしようと欲しました。これが生成と宇宙の或るこの上なく真正な始まりであるだろうということを思慮ある人々から受け入れるなら,もっとも適正に受け入れることになるでしょう。それというのも,神は,全てのものが善いものであること,あたう限りいかなる劣悪なものもないことを望んで,まさにこのように,可視であった限りの万有を引き継いで−−それは静止してはおらず,調子外れに無秩序に動いていたのですが−−,これを無秩序から秩序へと導いたのであって,それは秩序が無秩序よりあらゆる点でより善いと考えてのことなのです。最も善い者が,最も立派なこと以外をなさないことは,慣習にかなったことであったのであり,今もそうなのです。ゆえに彼は,推論して,次のことを発見しました。すなわち,自然本性に即して可視的なもののうち,知性なき働きは何一つ,その全体が,知性を有するものの全体よりもより美しいことはないだろうが,その一方で知性は魂なしには何かのところに生じることはできないだろう,ということを。この推論を通じて,知性を魂のうちに,魂を身体のうちに結合させて,万有の組み立てを補助しました−−自然本性に即して,なるべく美しく善い作品を完成するように。それゆえ実に,このように,ありそうな言論に従えば,「この宇宙は,真実,神の先々の考慮によって,魂と理性を持つ生き物として生成した」と言わなければなりません。

[30c2] 以上のことが成り立つとして,今度は,これに続くことどもを我々は話さなければなりません。すなわち,構築者は,生き物どものうち何に似たものへと構築したのかということを。さて,部分の種類に生まれついているもののうちの何かに似たものへと構築することが相応しいとは思わないようにしましょう––というのも,不完全なものに似たものは決して美しくなりえないのです。むしろ,他の生き物が,一つのものに関しても,類に即しても,それの部分であるようなものに,宇宙は全ての中で最も似ているものと措定しましょう。つまり,思惟されうる生き物全てを,あの範型は自分自身のうちに包括し有しているのです––ちょうどこの宇宙が,我々と,彼が構築した限りの他の可視の生物たちを包括し有しているように。思惟されるものの中で最も立派で全ての点でこの上なく完全なものにこの宇宙を似せることを望んで,神は,一つの可視の生き物––それは自然本性に即してその生き物と同族である限りの全ての生き物たちを自分自身のうちに有しているのですが––を構築したのです。

[31a2] それでは,天を一つのものと我々が呼んできたのは正しかったのでしょうか,それとも数多くである,また無限であると言う方がより正しかったのでしょうか?––一つと呼んで正しかったのです,範型に即して制作されたのであろう限りは。というのも,およそ思惟されうる限りの全ての生き物を包括するものが,他の生き物を伴う二次的なものであることは決してないのですから。というのも,今度は両者の周りにある生き物が他にあり,両者はその部分であることになるでしょうし,さらに,かの両者ではなくかの包括するものに,このものは似せられていると言うことがより正しいことになるでしょうから。さて,このものが唯一性の点で完全な生き物に似たものになるように,こうしたことのゆえに,作り手は宇宙を二つにも無限個にもしなかったのであって,むしろこの一個単独の宇宙が生成して,今あり,さらにまた,これからもあるでしょう。

要約

ティマイオスがミュートスを再開する。

  • 構築者は嫉妬心を持たないため,万物をなるべく自らに似た善いものにしようと欲した。
    • そこで,無秩序であった可視の万有を秩序づけた。
    • また,知性を万有のうちに生じさせるため,知性を魂に,魂を身体に結びつけた。
  • 宇宙は〈思惟されうる他の生き物全てを包括する生き物〉に似せて作られた (類比: 宇宙は全ての可視の生き物を包括している)。
    • 部分より全体のほうが完全だから。
  • 宇宙は単一である。
    • 一つしかない範型に似せて作られているから。
      • 仮に範型=思惟される生き物全体を包括する生き物が二つ以上あるとすると,さらにそれを包括する生き物があるはずだから。〔だが,これは範型の完全性に矛盾する。〕

文献注

  • C.: 第一段落がデーミウールゴスを描写する唯一の箇所である。ここからデーミウールゴスの特徴を取り出す際,後代の理論の前提を読み込まないよう要注意。
    • 製作者は唯一神ではなく,崇拝の対象でもない。「流出する愛」(Taylor) の存在も示唆されない。また全能でもない。
    • デーミウールゴスと混沌は象徴であり,かつこの神話的イミジャリーは「寓意のヴェール」ではない (前項参照)。
    • デーミウールゴスと知性 (Reason) を同一視してよいかは保留しておいたほうがよい。
  • C.: 範型そのものはデーミウールゴスとは異なって神話的装置ではない: 範型と可視の世界の類似関係は現に成り立っている。
    • 思惟されうる生き物は自然学的言説に関連する限りのイデアのシステムであり,例えば道徳的なイデアは関係しない (それら=は感覚像を有さない: Phdr. 250d.)
  • C.: 宇宙の多数性の教説はレウキッポスの原子論 (5c半ば) 以前には十分な資料をもって確認されていない。