『メタフュシカ』Z2 何が本質存在であるか––先行見解の列挙

Metaph. Z2.


[1028b8] 一方で,本質存在は諸物体に最も明瞭に帰属すると思われる。(そのことのゆえに,動物や植物やそれらの諸部分,また自然的諸物体,例えば火・水・土やそうしたものどもの各々,およびそれらの諸部分であるか,それらの諸部分ないし全体からなる限りのものども,例えば天や天の諸部分,すなわち星々や月や太陽,が本質存在であると我々は述べるのである。)他方で,これらの諸本質存在のみがあるのか,他の諸本質存在もあるのか,これらのうち或るものどもが本質存在であるのか,他のものどもも本質存在であるのか,それとも,これらのどれも本質存在ではなく,他の或るものどもが本質存在であるのか,ということを考察しなければならない。

[1028b16] 或る人々にはこう思われている−−物体の諸限界,例えば表面や線や点や一が本質存在であり,物体や立体より一層本質存在であると。さらに,或る人々は感覚されるものの他にそうしたものは何もないと考えているが,或る人々は永遠なものがより多く・よりいっそうあると考える,ちょうどプラトンイデアと数学的なものを二つの本質存在と考え,第三に感覚される諸物体の本質存在があると考えたように。またスペウシッポスも,一から始まって多くの本質存在があり,各々の本質存在に諸原理があり,数には別の諸原理,大きさにはまた別の諸原理,それから魂に〔も別の諸原理〕があると考えた。そしてまさにこの仕方で本質存在を拡張しているのだ。幾人かの人々は,一方でイデアや数が同一の本性を有するとし,他のものども,すなわち線や面は,これに引き続いて,天の本質存在や感覚的なものどもに至るまで〔同一の本性を有する〕とする。

[1028b27] さて,以上の議論について,何が見事に語られ,何が見事に語られてはいないか,また本質存在とは何か,何らかの本質存在は感覚的なものの他にあるのか,そうではないのか,それら本質存在はいかにしてあるのか,何か離在する本質存在はあるか,〔あるとすれば〕何のゆえに,またいかにしてか,あるいはいかなる本質存在も感覚的なものの他に存しないか,ということを,まずは本質存在とは何であるかということを粗描することによって,考察しなければならない。

要約

  • 一見,物体が最も明瞭に本質存在であるように思われる。だが実際のところ何が本質存在なのかは考察を要する。
  • 先行見解の列挙。
    1. ピュタゴラス派〕物体の限界 (面・線・点) がより一層本質存在である。
    2. 感覚的なものだけが本質存在である。
    3. (プラトン) イデアと数学的対象が本質存在であり,次いで感覚的事物が本質存在である。
    4. (スペウシッポス) 一が本質存在であり,次いで他のものどもも本質存在である。また各本質存在に固有の諸原理がある。
    5. 〔クセノクラテス〕イデアと数の本性は同じだが,幾何学的対象は天文学的・感覚的対象と関わる限りで本性を異にする。
  • 考察すべき主題の列挙。
    • 上記諸見解の是非。
    • 本質存在とは何か。(この点の素描から始める。)
    • 感覚的対象の他に (παρὰ) 本質存在はあるかどうか。あるならいかにしてか。
    • 離在する本質存在はあるかどうか。あるなら,なぜ,いかにしてか。

訳注

  • 岩波の新全集に従い (といっても全著作で採用されているのか未確認だが) 'οὐσία' を「本質存在」と訳すことにする。「X の (gen.) οὐσία」といった表現の意味内容の理解に関わる。(B. の訳語に関する議論 (Z1),および Phys. II.1 との類比 (下記) も参照。)
  • "ἔνιοι δὲ τὰ μὲν εἴδη καὶ τοὺς ἀριθμοὺς τὴν αὐτὴν ἔχειν φασὶ φύσιν, τὰ δὲ ἄλλα ἐχόμενα, γραμμὰς καὶ ἐπίπεδα, μέχρι πρὸς τὴν τοῦ οὐρανοῦ οὐσίαν καὶ τὰ αἰσθητά." (b24-27) とりあえず後半に τὴν αὐτὴν ἔχειν φασὶ φύσιν を補って訳したが,何か違う気がする。Ross, 162 は 'Some thinks that Forms and numbers are of the same kind, but that there are other kinds of dependent on this––lines, planes, &c., ending with the class of sensibles.'

内容注

  • R.: τινες παρὰ τὰς αἰσθητὰς と τις χωριστὴ οὐσία の有無の問いは分けられている。前者は感覚的本質存在以外の (besides) 本質存在があるか否か,後者は感覚的本質存在と分離して存在しうる (capable of separate existence) 本質存在があるか否かを問うている。
  • B.:「何が本質存在なのか?」という Z2 の問いの Z における結論は,「感覚的世界においては生物のみ」である。四大元素や動植物の部分は Z16 で斥けられ,イデアは Z14 で存在を否定される (より詳しくは MN)。人工物は Z2 では言及すらされず Z17 では排除される。Z で探求されるのは非感覚的事物に関する問題である。
  • B.:「本質存在とは何か?」という問いに対して Z3 が複数の答えを提出している。「粗描 (sketch)」という語からも予備的な定義が期待される。最終的に Z の問いは E の末尾で用いられる原因論的語法で定式化される:「本質存在が第一義的にあることの原因は何か?」この問いは Z13.1038b7 で明示され Z17 で中心を占めるようになる。なお Phys. II.1 における「自然的事物の自然本性と本質存在」に関する「何が自然本性か」→「自然本性とは何か」の問いと類比的である。実際また Z3 でも「形相や複合体は質料より一層本質存在である」とされる。