『自然学』II 2 #2 自然学は質料・形相の両方に関わる

Phys. II 2, 194a12-b15.


[194a12] 自然は二様にある,すなわち形相と質料であるので,凹み鼻性について何であるかを考察するときのような仕方で観照しなければならない。すなわち,そうしたものどもを質料抜きに,あるいは質料に即して,考察するのではない仕方で。というのも,さらにまた,自然が二つであるなら,どちらについて〔考察することが〕自然学者に属するのかということを,ひとは行き詰まりとしうるからだ。あるいは両方からなるものについてか? だが,両方からなるものについてであれば,両方についてでもある。では,各々を認識することは,同一の〔学知〕に属するのか,異なる〔学知〕に属するのか?

[194a18] というのも一方で,古の人々に注意を向ければ,〔自然学は〕質料の〔学知〕であると思われただろう(というのも,エンペドクレスやデモクリトスは,形相ないし〈それであるとは何であったかということ〉には,或る僅かな部分についてしか,触れていないから)。他方で,技術は自然を模倣するのであり,或る程度は,形相と質料を知ることが同一の技術に属するのであり(例えば,健康,および,健康がそのうちにあるところの胆汁や粘液が医者に属し,同様にして家のエイドス素材ヒューレー,すなわち何であれ煉瓦や材木であるもの,が建築家に属するように。他のものどもについても同様である),そして両方の自然本性を認識することが自然学に属するかもしれない。

[194a27] さらに,〈それのためにあるそれ〉や目的,およびそれらのためにある限りのものは,同一の学知に属する。自然は目的すなわち〈それのためにあるそれ〉である(というのは,運動が連続的であるとき,それらには何らかの目的があり,その終極が〈それのためにあるそれ〉でもある。そのことのゆえに詩人は,滑稽にも,次のように述べるよう仕向けられた−−「彼は終焉を得た,彼がまさにそのために生まれた終焉を」。というのも,全ての終わりが目的であるのではなく,最良の終わりが目的なのだから)。また諸技術は質料を作りもする––或る技術は単に作り,他の技術は扱いやすいように作る。そして我々のためにそれら全てがあるかのごとくに,我々は用いるのである(というのも,我々も或る仕方で目的であるから。というのも,〈それのためにあるそれ〉は二通りであるから。このことは『哲学について』において語られた)。質料を支配し認識している諸技術は二つである。すなわち,用いる技術と,制作術の棟梁的技術とである。それゆえ,用いる技術も或る仕方で棟梁的な術であるが,一方は形相を認識する技術であり,他方の棟梁的技術,つまり制作術としての棟梁的技術は,質料を認識する技術であるという点で異なる。というのも,操舵手は舵のエイドスがどのようであるかを認識し指示するが,他方の〔船大工は〕どんな材木やどのような動きから〔舵が〕あるだろうか〔ということを認識し指示する〕。すると,一方で,技術に即してあるものどもにおいて,製品のために我々が質料を作るのだが,自然的諸事物においては既にあるのだ。さらに,〈何かに対してある〉ものどもに質料は属する。というのも,別の形相に関しては別の質料があるから。

[194b9] どれほどの程度,自然学者は形相すなわち〈何であるか〉を知る必要があるのか? 各々の〈何のために〉の程度で,また一方で形相の点で離れているものども,他方で質料の内にあるものどもについて,医者が腱を知り,鍛冶屋が青銅を知るのと同様にしてか? というのも,人間と太陽とが人間を産むから。どのようにして離在するものであるのか,それが何であるのかを規定することは,第一の哲学の仕事である。

要約

  • 自然研究は自然的事物の質料と形相の両方に注意してなされなければならない。
    • 質料を考慮すべき例: 凹み鼻性は鼻の形相 (呼吸器官) に即しては説明できない。
  • 行き詰まり: 質料の考察と形相の考察は (自然学という) 同一の学知に属するのか?

  • 一方の角 (質料のみ説): エンペドクレスやデモクリトスは殆ど形相に触れていない。

  • 他方の角 (両方説):

    1. 自然の模倣物である技術は形相と質料の両方に関わる (e.g. 医術–健康/体液,建築術–家の形/建材)。
    2. 目的因は〔質料因と〕同一の学知に属する〔& 目的因は形相因と一致する〕。
    3. 質料に関する技術はそれを用いる技術と制作する技術に分かれる。そして,前者のみが形相を認識する技術である。だが,自然的事物においては質料は既にある。〔したがって,自然学においては後者に相当する知識は不要である。ゆえに,類比的に見て,自然学は形相を認識する学知である。〕
    4. 質料は形相と相関的である。〔ゆえに,質料に関わる学知は形相にも関わることになる。〕
  • 追加の問い: 自然学は形相にどの程度関わるのか? 目的因に関わる限りでか,あるいは,技術が質料/形相に関わるのと同程度のバランスか?(実際,人間の出生の説明にはどちらも必要。)

    • 他方で,形相とは何か,いかに離在するかは,第一哲学で問われる。

訳注

  • μέχρι του (194a23):「或る程度は」と訳したが,これでよいのかよく分からない (cf. Ross, ad loc.)。'του' の形もアリストテレスには珍しい気がする。
  • ἡ μὲν τοῦ εἴδους γνωριστική, ἡ ἀρχιτεκτονική, ἡ δὲ ὡς ποιητική (194b3-4): Ross に従い,意味を考えて,ἡ ἀρχιτεκτονική を ἡ δὲ ὡς ποιητική と同一視する。Gloss であり,元々は ἡ δὲ ... の gloss だったのだろう,という推測は尤もらしい。

内容注

  • 質料/形相のいずれも必要である旨については cf. esp. PA I 1 (Charlton).
  • 〈それのためにあるそれ〉は二通りである: cf. De An. II 4 415b2 (Ross).
  • Charlton は議論の構造を見る上でアポリアーの形になっていることにあまり注意していないように見える。(Couloubaritsis はそもそも議論の構造の話を全然しない。)
    • 冒頭で「というのも」からアポリアーが導入されるのがやや不思議。結論を先に述べている?
  • Couloubaritsis は形相をここまで一貫して spécificité と訳している。理由は不明。