『生成消滅論』I 3 #4 議論の総括,残る問いの解決と新たな難問提起

GC I 3 319a17-b5. 3章ここまで。


[319a17] そこで,或るものどもは端的に生成し,他のものどもは生成しないということについては,総じてそうであることも,諸実体そのものにおいてそうであることも,語られたのであり,なにゆえに基礎に置かれるものが,生成が連続的にある質料としての原因であるかも語られた。すなわち,反対者へと変化しうるからであり,実体について一方の生成はつねに他のものの消滅であり,一方の消滅は他方の生成なのである。

[319a22] しかし実際,或るものどもが消滅するときに何のゆえに〔他のものどもが〕つねに生成するか,ということを,行き詰まりとする必要はない。というのも,感覚されないもの,すなわち〈ありはしないもの〉になるとき,端的に消滅するということをも彼らが主張するのと同様に,感覚されないものから〔出てくるとき〕,〈ありはしないもの〉から生成するということも彼らは主張するから。それゆえ,何か基礎に置かれるものがあるのであれ,ありはしないのであれ,ありはしないものからは生成しない。したがって,ありはしないものから生成することと,ありはしないものへと消滅することとは同様である。だから,取り残して止みはしないということが尤もらしい。というのも,生成は〈ありはしないもの〉の消滅であり,消滅は〈ありはしないもの〉の生成であるから。

[319a29] しかしながら,この〈端的にありはしないもの〉は反対であるものどもの一方であって,例えば土や重いものはありはせず,火や軽いものはあるのか,それともそうではなく,土も〈あるもの〉であり,土の質料と火の質料は同様に〈ありはしないもの〉であるのか? [を誰かが行き詰まりとするかもしれない。] そして一体,各々のものの質料は異なっているのか,それとも,互いから生成しうるのでも,反対のものから生成しうるのでもないのか (というのも,これらのもの,すなわち火・土・水・空気に,反対のものが属するから)? それとも,ある意味では同じ質料であり,ある意味では異なる質料なのか? というのも,何であれ何らかありつつ基礎に置かれるものは同一であるが,あるということは同一ではないから。そこで,これらの事柄については,これだけの数のことどもまで,語られたとしよう。

要約

  • 以上のまとめ: (a) 何かが端的に生成するか否かということを,(i) 総論として,(ii) 特に実体について,論じた。(b) 基礎に置かれるものが生成が連続的にあることの質料因である理由も論じた: 基礎に置かれるものは反対者へと変化しうる。
  • esse is percipi 論者の言う〈あるもの〉〈ありはしないもの〉は真正のそれではない。したがって,この人々の言う意味では消滅は「〈ありはしないもの〉への消滅」であるにせよ,そこに困難は存しない。
  • しかしなお二点難問が残る。
    1. 〈端的にありはしないもの〉として想定すべきものは,火に対する土などであるか,それとも,火と土の質料か。
    2. 〔火や土などの〕各々について,その質料は異なるか,同一か。あるいは,基礎に置かれるものとしては同一である一方で,あり方が異なるのか。

訳注

  • [ ] 内を Joachim は削除する。根拠不明。Williams は従わず,写本的根拠のある Bekker の ἀπορήσειεν ἄν τις を読んでいる。こちらの方がよいだろう。

内容注

  • Joachim, 104 は最後の諸問題について 'the answers' を書いているが,文字通りに読めばここは単に διαπορεῖσθαι している箇所だと思う。もしかすると [ ] 内の削除とも連動しているのかもしれない。
  • Williams, 97: "Given the perennial philosophical tendency to reify abstract terms like 'existence', the contrast between sameness of substratum and difference of being can be made too easily to sound like the enumeration of three ingredients, one substratum and two existences. The logical distinction between what Frege was to label 'sense' and 'reference' thus receives a metaphysical disguise. Aristotle himself does not always succeed in seeing through such disguises." 当否はさておき,ひとつの重要な論点ではあると思われたので,メモしておく。