『生成消滅論』I 3 #3 生成と消滅の同一性 (cont.),端的な/何らかの生成の区別

GC 318b18-a17. 全部読んでしまっても良かったけど,きょうは少し別のことを優先する。


[318b18] 他方で,感覚されうるものとされえないものとの点で異なる,と多くの人々には思われている。というのも,「感覚される質料へと変化するときには生成し,感覚されない質料へと変化するときには消滅する」と彼らは主張するから。というのも,〈あるもの〉と〈ありはしないもの〉を感覚されることと感覚されないこととによって彼らは規定するのである。ちょうど,知られるものはあり,知られていないものはありはしないように (というのも,知識の感覚は力を有するから)。それゆえ,ちょうど感覚されることやされないことの点で,自分たち自身が生きており,ある,と考えているように,事物についても〔そうであると彼らは考えているのであるが〕,彼らは何らかの仕方で真理を追求しつつ,しかし真理そのものを語ってはいないのである。事実,意見に基づくのと,真理に基づくのとでは,端的に生成すること,消滅することは,別様であることになる。というのも,風や空気は感覚に基づけば一層少なくあるが (このことのゆえに,「端的に消滅するものはこれらへの変化によって消滅するのであり,触れうるもの,すなわち土へと変化するとき,生成する」と彼らは述べるのである),真理に基づけば,これらは土よりもいっそう〈或るこれ〉であり形相である。

[318b33] さて,端的な生成は何かの消滅である一方,端的な消滅は何らかの生成である,ということの原因が述べられた (というのも,実体であるかあらぬか,いっそう実体であるかあらぬか,あるいは,そこからないしそこへと〔生成消滅するところの〕質料がいっそう感覚されうるものであるか,いっそう少なく感覚されうるものであるか,ということによって質料が相違することのゆえに〔そうなっているのである〕)。

[319a4] 他方,或るものどもが端的に生成すると語られ,別のものどもは何らか生成するとのみ語られるのは,今我々が述べた仕方での互いからの生成によってではなく (というのも,今規定されたのは,「あらゆる生成が他のものの消滅であり,あらゆる消滅が他の何かの生成であるとき,一体どうして我々は,生成することと消滅することとを,互いへと変化するものについて同様に認めないのか」ということであり,「一体なぜ,学ぶものが端的に生成すると語られず,むしろ知識あるものになると語られる一方,生い育つものは〔端的に〕生成すると語られるのか」ということではないから),これらはカテゴリーの点で規定される。というのも,或るものは〈或るこれ〉を意味表示し,他のものは〈こうしたもの〉を,また別のものは量を意味表示するからである。実体でないものを意味表示する限りのものどもは,端的に〔生成する〕とは語られず,何らか生成すると語られる。しかしながら,生成は一方の双欄表において,全てのものにおいて同様に語られる。例えば実体においては火であれば〔そう語られるが〕土であれば〔そう語られない〕,質においては,理解しているものであれば〔そう語られるが〕理解していないものであれば〔そう語られない〕。

要約

  • 多数派意見を取り上げる: esse is percipi.
    • これは真理探究の結果として導かれた結論だが,真理ではない。風・空気は土より感覚されにくいが,土より〈或るこれ〉・形相である〔ため,一層ある〕。
  • 結論:「端的な生成=何らかの消滅」(逆もまた然り) なのは,生成消滅の始点・終点である質料が実体かどうか (ないしは実体である程度) が異なるからである。
  • 他方,「P が端的に生成する」と「Q が φ になる」の相違は,P と Q のカテゴリーの相違に基づく。

訳注

  • 319a14 'μέν' が何に対応しているのか分からず,訳出していない。

内容注

  • 第1段落で一旦棄却された感覚可能性の基準が第2段落で再掲されていることは,前回箇所で語られた,「ここでは専ら生成の τρόπος が関心事であり,各々の質料の探究は第二義的である」ということを再び示しているように思われる。「何らかの仕方で真理を追求しつつ」という留保も「結論はともあれ τρόπος への着眼はいい線行ってる」という意味ではないか。(この限りで Williams, 94 が 'unphilosophical majority of mankind' の説とするのは強すぎると思う。)
  • Williams: φυόμενον - 'that which is born' - "the verb is not, as 'grows' would suggest, one which signifies increase in size. It refers primarily to vegetative growth, and particularly to 'growing from seed', the process which Aristotle regards as the coming into existence of a plant." (94)
  • 第三段落の理解はかなり怪しい。Williams はアリストテレスに混乱を帰しているが,何か整合的な読み筋がある気もする。