『自然学』II 2 #1 自然学と数学の相違点

Phys. II 2, 193b22-194a12.

Phys. II 1 についてハイデガーの論文があるというので見てみたが*1,なんらテクスト理解に資する文章ではなかった。


[193b22] 自然がどれほどの数の仕方であるのかということが規定されたので,このことの後に,数学者が自然学者といかなる点で異なるのかということを観照しなければならない (というのも,自然的物体は平面や立体や長さや点を有するのであり,これらを数学者は探求するから)。さらに,天文学は別ものか,それとも自然学の部分であるか〔ということも観照しなければならない〕。というのも,「太陽とは,あるいは月とは何であるか」を知ることが自然学者に属するのであれば,それらに自体的に付帯することどもを何も〔知らない〕ということは奇妙であり,さらにまた,自然について語る人々は,月や太陽の形についても,さらにまた,地球や宇宙が球形であるか否かをも,語っているように思われるのだから。

[191b31] さて,こうしたことについては数学者も論述しているが,自然的物体である限りで各々の境界を論じているわけではない。また付帯的な事柄は,そうしたものである限りのものどもに付帯するわけではない。そのことのゆえに,〔数学者は〕切り離しもする。というのも,〔数学的な事柄は〕知性において運動から分離可能であり,どちらでもよいのであって,分離されたもののあるものが偽になることもないから。イデアを語る人々も,このことをなしながら,それを見逃している。というのも,数学的な事柄に属するものが離在するのより離在することがより少ない自然的事柄を,この人々は切り離すから。各々のものどもや,付帯的な事柄そのものの定義を述べようと試みれば,このことは明らかになるだろう。というのも,〈奇〉や〈偶〉〈直〉〈曲〉,さらに数や線や形は,運動なしにあるだろうが,肉や骨や人はもはや〔運動なしには〕なく,これらはちょうど〈凹んだ鼻〉のように語られるのであり,〈曲〉のように語られはしないのである。数学的な事柄のうち,より自然的な事柄,例えば光学や和声学や天文学も〔同じ事情を〕明らかにしている。というのも,幾何学と何らか反対の仕方であるから。というのも,一方で幾何学は自然的な線を探求するが,自然的である限りの線をではないのであり,他方で光学は数学的な線を探求するが,数学的である限りの,ではなく,自然的である限りの線を探求するのである。

要約

  • 「自然は何通りの仕方であるか」を論じた後に,「自然学は数学とどう異なるか」を論じる。後者は以下の点で問題になる:
    1. 自然的物体は数学的属性を有する。
    2. 現に自然学者はそうした数学的属性について論じている。
  • 解決: 数学的属性は,自然的物体である限りの自然的物体に付帯するのではない。
    • 自然的属性をさえ抽象するイデア論の場合と異なり,数学的属性の抽象は正当化できる。
    • また,自然学者の探求する数学的属性は,自然的である限りの数学的属性である。

内容注

  • Ross: 数学者が数学的対象を χωρίζειν するのは,「それらが感覚的対象を離れて存在する」と想定するからではなく,感覚的対象から抽象するからである。プラトニストが τὰ φυσικὰ について非難されているのも同様に「抽象」の次元であり,通常のプラトニスト批判とは文脈が異なる。
  • Ross: 数学的対象の抽象と異なり肉・骨・人のイデアの抽象が正当化されないのは,肉・骨・人の定義が既に運動を含意するから。
  • Charlton: ものを (質料ではなく)「変化から」切り離す,という話になっているのはなぜか。答え: (1) 自然研究は第一義的に運動に服するものの研究であり,それが質料に関わるのは,あらゆる変化が質料的要因を前提することが Phys. I の論理的分析により明らかにされている。(2) 幾何学的対象が完全に質料から離れてあるとはアリストテレスは考えていない。

*1:「ピュシスの本質と概念とについて。アリストテレス,自然学 B, 1」『ハイデッガー全集 第9巻 道標』創文社,293-382.