『メタフュシカ』Θ1 能動的/受動的原理としての可能態

Metaph. Θ1 1045b27-1046a19.


[1045b27] さて,第一にあるものについて,そして〈それに対して〈あるもの〉の他のカテゴリーが参照されるところのそれ〉について,すなわち実体について (というのも,実体の説明規定に即して,他のあるものども,すなわち量や質や他のそのように語られるものども,は語られているから。というのも,それら全ては実体の説明規定を有するだろうから。ちょうど,先ほどの議論において我々が述べたように) は既に語られた。〈あるもの〉は一方で「何」「どれほど」「どのように」と語られ,他方で可能態と完成態に即して,および働きに即して語られるので,可能態と完成態についても我々は規定しよう。そしてまずは可能態について規定しよう。可能態は最も支配的に語られるが,実際のところいま我々が望むことに対しては最も役に立つものというわけではない。というのも,多くの場合,可能態と現実態は,運動に即してのみ語られるものどもに属するから。しかし,可能態について述べつつ,現実態や他のものどもについての規定を明らかにしよう。

[1046a4] さて,デュナミスとデュナスタイが多様に語られることは,我々によって他のところで規定された。他方,同名異義的にデュナミスと語られる限りのものは,それらから除外しよう (というのも,いくつかのデュナミスが何らかの類似性において語られるから。ちょうど,幾何学において,ある仕方で〈ある〉ないし〈あらぬ〉という点で,可能であるとか不可能であると我々が語るように)。他方,同一の形相に関係してある限りのものどもは,全て何らかの原理であり,かつ最初の一つの原理に関係して語られるのだが,その最初の一つの原理とは,〈他のものにおける変化〉の原理,あるいは〈他である限りのものにおける変化〉の原理である。というのも,一方で被ることの可能態,すなわち受動者そのものにおける,他のものからの,あるいは他である限りのものからの受動的変化の原理があり,他方でより劣ったものに関して被らない性向,あるいは,他のものや他である限りのもの,すなわち受動的原理による消滅を被らない性向があるから。というのも,これら全ての定義のうちに第一の可能態の説明規定が内在しているから。反対に,これらの可能態は〈単になすこと・被ること〉や〈立派に〔なすこと・被ること〕〉に属すると語られ,したがってこれらの説明規定のうちにも,先ほどのデュナミスの説明規定が何らかの仕方で内属する。

[1046a19] それゆえ,一方で,なすことと被ることの可能態が一つのものとしてあり (というのも,被る能力それ自体を持つことによっても,他の何かがそのものから被ることによっても,可能であるから),他方で別々のものとしてある。というのも,一方の可能態は受動者のうちにあり (というのも,何らかの原理を有すること,そして質料も何らかの原理であるということのゆえに,受動者は被るのであり,あるものは他のものによって被るから。というのも,脂気のあるものは可燃であり,屈しているものは潰れやすく,他のものどもについても同様だから),他方の可能態は能動者のうちにあるから。例えば熱さや建築術は,一方は熱を生じうるもののうちにある可能態であり,他方は建築しうるもののうちにある可能態であるから。このことのゆえに,本性上一緒になる限りで,何ものもそれ自体として自身から被ることはない。というのも,一つであり,別のものではないから。そして不可能性と不可能なものは,そうした可能態と反対の欠如態であり,したがって全ての可能態は不可能性と同一のものに属し,同一のものに即している。他方,欠如態は多様に語られる。というのも,持たないものも欠如態であり,総じてであれ自然本性的であるときであれ,またこのように,例えば完全にであれ持たないようなとき,ないしは他のあらゆる場合に持たないとき,本性上あるものも欠如態である。他方いくつかのものについては,本性上有するものどもを強いて有さない場合,それらは欠如していると我々は言う。

訳注

  • 'δύναμις' を「可能態」と訳し,これに応じて 'δυνατός' を「可能」と訳すが,もとより現下の文脈では特に後者は極めて誤解を招きやすい (/ 誤訳すれすれの) 訳語ではあり,ここでは逐語的対応を示す以上の意図は込められていない。(なお後述の Frede-Makin 解釈に沿って本章の主題は potentiality であると想定している。) おいおい諸訳を見てもう少しましな訳語を選びたい。
  • Makin は Θ に関する限り κίνησις と μεταβολή に意味の違いはないとし,いずれも 'change' と訳す。この主張の当否の判断は保留した上で、さしあたり情報を潰さないため「運動」「変化」と訳し分けておく。

要約

第一段落

  • ZHの総括とΘの内容予告。
    • 〈あるもの〉はカテゴリーに即して語られるとともに,可能態/現実態に即しても語られる。
    • 以下では,可能態と現実態にまず可能態を論じ,次いで現実態等々を論じる。

第二段落

  • 同名異義的に δύναμις なものは議論の対象から外す。
  • 「同一の形相に関して」δύναμις なものは原理であり,いくつかの種類がある。
    1. 第一の原理 = 能動的原理 (他のものにおける変化の原理)。
    2. 他のものによる受動的変化の原理。
    3. 他のものによる受動的変化や消滅を被らない性向。
  • これら δύναμις の説明規定は,「立派になす・被る」ことの可能態の説明にも含まれることになる。

第三段落

  • 能動的可能態と受動的可能態は (A) ある意味で同一であり,(B) ある意味で別々である。
    • A: どちらを有することによっても可能である。
    • B: 能動的原理は能動者に内在し、受動的原理は受動者に内在する。
  • 欠如態は可能態と並行的に捉えうる。他方また欠如態も多様に語られる。

内容注

第一段落

  • Makin によれば,Θ解釈は前半部 (Θ1-5) と後半部 (Θ6-9) の関係を巡って Ross / Frede が解釈上以下のように対立する。(Makin は4つの根拠から Frede 方式を採用する (pp.19-21)。)
    1. 両者は各々 power と potentiality という別個のトピックを扱っている ('the Ross approach')。
    2. 両者はともに potential being を扱う。後半部で新たな概念が導入されるわけではない ('the Frede approach*1')。

第二段落

  • Makin は 1046a5f. で参照されていると思われる Δ12 で (i) 幾何学における例と (ii) 可能様相の例が別個に挙げられることに基づき 'ἐν γεωμετρίᾳ καὶ δυνατὰ καὶ ἀδύνατα λέγομεν τῷ εἶναί πως ἢ μὴ εἶναι' (1046a8f.) を 'ἐν γεωμετρίᾳ' までで区切って読んでいるが,Ross, 241 が述べる通り,無理がある。他方ここを繋げて読むなら,そもそも (Ross も認めるような) Δ12 (i) への独立した前方参照そのものが難しくなる。多分どこかでテクストが壊れているのだろう。ただ本箇所に限って考えればーー単なる思いつきだがーー幾何学において可能様相の意味で δυνατόν が術語的に用いられたという線もあり得なくはないのではないか (例えばエウクレイデスには 'εἰ δυνατόν' という定型句が頻出する。ただし ἀδύνατον の用例はない)。
  • Makin は 1046a9-19 を 'focal analysis' として特徴付ける。すなわち 1, 2, 3 の δύναμις の実例は同名異義的でも同名同義的でもない仕方で 1 を中心に構造化されており,その構造が分析される。その上で Makin は次のように分析の重要性と問題点を洗い出す。
    1. 〔なぜ能動的原理は第一義的か。〕(PASS)「他のものから被って変化する原理」という規定は,(PASS*)「特定の〈他のものにおける変化〉の原理から被って変化する原理」と敷衍されねばならない。例: 冷たい水は熱される能力を有するが,熱されうるのは石や綿によってではなく,火,ガスコンロ,電気ケトルによってである。
    2. 〔a の分析の問題点。〕だが能動的原理についても並行的な分析を施しうる。したがって,以上の議論は能動的原理が第一であることの理由にはならない。
    3. 〔問題点の定式化。〕Δ12 1020a2-3 では,「我々が何かに受動的原理を帰属させるのは,別のものが能動的原理を有することによって (because, 原文は不定詞の与格) である」と説明される。つまり受動的原理は能動的原理に何らか依存している (dependent)。この非対称的な依存関係をアリストテレスが正当化していないように思われる点が問題になる。
    4. 〔論点の重要性。〕Θ2 の δύναμις の区分は能動的原理の第一義性を前提しており,後者が崩れれば前者も崩れてしまう。

第三段落

  • (A) 同一性の主張をどう解釈するか。Makin は (1) 能動的 / 受動的可能態に先立つ何か単一のもの (e.g. Ross:「火は水を熱する」という事実) があるとする解釈,(2) そうした可能態の後に何か統一するもの (e.g. 変化) があるとする解釈,の二つを挙げた上で,(1) は両原理の結合を強めすぎるため (2) がより良いと評価する: (1) は (i) 非対称的依存関係,(ii) B の主張,(iii) Θ5 の有力解釈,と不整合である。さらに (2) は Phys. Γ3 とも整合する。
    • とはいえ,そもそも「some unifying item によって一つである」という前提をここに読み取りうるか,という疑義はある。
  • (B) 別々であるという主張は,(i) 受動的原理は受動者に内在し (ii) 能動的原理は能動者に内在する、ということを論拠にする。ここで「質料的基礎が受動的原理と同一である」とは述べられていない (Makin)。
    • Makin: 相互に独立の原理を有するというこの主張も、やはり非対称的依存関係の主張との緊張関係がある。
  • 欠如態に関する議論は Δ12 と Δ22 における議論の要約になっている (Makin)。

*1:Michael Frede (1994) "Aristotle's Notion of Potentiality in Metaphysics Θ".