『自然学』A7 #2 原理の数に関する行き詰まりの解決

Phys. A7 190b17-919a22.


1. 原理の数

[190b17] すると,〈自然本性上あるものども〉の諸原因や諸原理がある以上は,ーー第一のそれらから,付帯的な仕方ではなく,むしろ本質に即して語られる各々のものの点で,ありかつ生成するのだがーー全てのものは基礎に置かれるものと形とから生成するのだということは明らかである。というのも,教養ある人間は人間と教養あるものからなんらかの仕方で複合されているから。というのも,あなたは説明規定をそれらの説明規定へと分解するだろうから。それゆえ生成するものどもがこれらから生成するだろうことは明らかである。基礎に置かれるものは数においては一であるが,形相においては二つである (というのも,人間や金や総じて質料は数えうるから。というのも,それらはいっそう〈あるこれ〉であり,生成するものはそれから付帯的ではない仕方で生成するが,欠如や反対性は付帯的に生成するから)。他方,形相は一つである,例えば配置や学芸や,そのように述定される他のものの何かのように。

[190a29] それゆえに,一方で原理は二つであると言わなければならず,他方で三つであると言わなければならない。また一方で反対のものどもであると言わねばならずーー例えば教養あるものと無教養なもの,熱いものと冷たいもの,調和しているものと不調和なものであると言うとすれば,そうであるようにーー,他方で反対のものどもではないと言わねばならないから。というのも,反対のものどもが互いから被ることは不可能であるから。他のものが基礎に置かれるものであるということによって,このことは解決される。というのも,基礎に置かれるものは反対のものではないから。したがって,ある仕方では諸原理が反対のものどもよりも多いことはなく,むしろ言わば数において二つであるが,他方で他の〈あるということ〉がそれらに属することのゆえに,完全に二つであるわけではなく,むしろ三つである。というのも,人間にとってのあることと〈無教養である〉にとってのあることは異なるのであり,形のないことにとってのあることと,金にとってのあることも異なるから。

要約

  • 従前の議論から以下の結論が得られる。
    • 自然物は〈基礎に置かれるもの〉と〈形〉からなる。
      • それゆえ,〈生成するもの〉は〈基礎に置かれるもの〉と〈形〉とから生成する。
        • 〈基礎に置かれるもの〉は数的に一つ,形相的には二つ (〈生成するもの〉と〈欠如〉)。
        • 〈形相〉は一つ。
  • かくて,原理は (1) ある意味で二つであり反対,(2) ある意味で三つであり反対でない。
    1. 例えば〈教養ある (もの)〉と〈無教養 (なもの)〉は反対である。
    2. 他方,一方が欠如+基礎に置かれるもの,他方が形相,である限りでは反対にならない。

訳注

μορφή: 形,διαλύω: 分解する。

  • 諸写本に従い Lorenz に倣って τοὺς λόγους を読む (↔︎ Diels, Ross)。

内容注

各注解の引き写し。後半も同様。まだ自分の読み筋は立っていないが,基本線としては Lorenz の読解に説得されている。

第一段落

  • (Lorenz) 冒頭の条件文は議論の適用範囲を制約している。すなわち (1) 自然的 (2) 実体について,(3) それの (生成のみならず)「ある」原因・原理が問われることになる。
    • したがって「〜からある」は 'constituted from' を意味する。('derived from' (Delcomminette, 163f.) は構成要素である点を捉えておらず一般的すぎる。)
      • つまりアリストテレスはここで変化の始点から変化の終点に注意を移している。
  • (Lorenz) その上で,「ある」原理である形相は生成の原理でもあると論じられる。
    • (欠如ではなく) 形相が変化の始点にあるという考えについては cf. Phys. B7:〈人が人を産む〉〈技術が作品を産む〉(始動因としての形相: A5 188a31-6, A6 189a22-6, b18-19.)*1
  • (Charles) より一般に,以下のことが主張されている: 自然的対象の生成の原理と存在の原理は同一である。
  • (Lorenz) 「数えうる」理由は (i) 近接質料 (proximate matter) はある種の確定的で再認可能な τόδε τι であり,(ii) 変化において問題になるのは近接質料であること ('τόδε γάρ τι μᾶλλον')*2。質料の可算性は基礎に置かれるものの数的同一性を担保する。基礎に置かれるものの質料要素 (matter-component) が実体的であるのに対し,欠如要素 (privation-component) は συμβεβηκός である。

第二段落

  • (Lorenz) A5-6 で提示された「原理は2つであり3つでもある」という行き詰まりの解決がここでなされる: この齟齬は〈基礎に置かれるもの〉の形而上学的複雑性を考慮することで解消される。
  • (Lorenz) 「原理は反対でありかつ反対でない」という矛盾も同時に解決される: e.g. τὸ ἡρμοσμένον と τὸ ἀνάρμοστον が「反対である」とされるとき,一方は形相,他方は質料-欠如複合体を指している*3

2. 本章の整理

[191a3] さて,〈生成をめぐる自然物〉の諸原理がどれほどあるか,およびいかにしてそれほどあるのかが述べられた。そして何かが反対のものどもの基礎に置かれるべきこと,および反対のものが二つであることは明らかである。だが,何らかの他の仕方では必然的でない。というのも,反対のものどもの一方が,不在と現在によって変化を生ぜしめるのに十分であるだろうから。

[191a8] 基礎に置かれる本性は類比によって理解可能である。というのも,鋳像に対して青銅が,寝台に対して木材が,形を有する他のものどものうちの何かに対して素材すなわち形なきものが,形を持つ前にあるその仕方で,基礎に置かれる本性は実体ないしは〈あるこれ〉あるいはあるものに対してあるから。そして基礎に置かれる本性は一つの原理であるが,〈あるこれ〉があるような仕方で一つであるわけでも,そのようにあるわけでもない。他方,それの説明規定があるところのものは一つの原理であり,さらにそれの反対,すなわち欠如も一つの原理である。これらがいかなる仕方で二つであり,いかなる仕方でより多いのかは,以上の議論において述べられた。そして,最初は原理は反対のもののみであると論じられた一方,後には他の何かが基礎に置かれ,三つであることが必然であると論じられた。今論じられたことどもから,反対のものどもの区別は何であるか,そしていかにして諸原理は互いに対してあるのか,そして基礎に置かれるものとは何か,が明らかである。形相と基礎に置かれるもののいずれが実体であるかは,いまだ明らかでない。しかし,諸原理が三つであること,いかなる仕方で三つであるか,それら諸原理の方式は何であるか,は明らかである。原理がどれほどあり,何であるかということは,これらのことどもから考察されたものとしよう。

訳注

  • 諸写本に従い Lorenz に倣って ὕλη καὶ (191a10) を読む。

内容注

第三段落

  • (Ross)「生成をめぐる自然物」: すなわち τὰ οὐρανία を除く。
  • (Lorenz) ここで「基礎に置かれる」ものは質料要素のみ。
  • (Lorenz) 形相が「不在と現在によって変化を生ぜしめる (ποιεῖν)」という言明が意味するのは,「質料-欠如複合体は形相の欠如した質料に他ならず,形相と,質料における形相の不在が,変化の十分条件である」ということ。したがってここで (も) 形相は始動因として扱われている。

第四段落

  • (Lorenz)「類比によって理解可能 (ἐπιστητή)」: ἐπιστήμη の対象は何らかの仕方で統一されている (unified) 必要がある。他方〈基礎に置かれるもの〉はその多様性ゆえに本質を特定するという仕方では把握できない。
  • (Charles)〈基礎に置かれるもの〉(の役割を担うもののタイプ) は知覚的に捉えられず省察によってのみ理解される*4
  • (Lorenz) この段落のみからは不確定だが,文脈からして〈基礎に置かれる本性〉は質料要素のみを指すと思われる。(ただし変化の原理としての〈基礎に置かれるもの〉が質料要素であると確定したわけではない。ここでは単に自然的実体の原理が話題になっている。((こう言うべき理由が何なのか,よく分からなかった。)))

*1:もっともアリストテレスは単に欠如の話をしているのだと理解しても良いのではないかと思う: 生成の原理と存在の原理は同様の区分 (基体/形相) により特徴付けられる。

*2:Charlton, 79 は近接質料に関し (アリストテレスにおける「第一質料」概念の不在を論じる) Appendix への参照を指示する。なお Charles 論考が VI-VII 節で提起する 'sch-underlier' 問題の根はこの辺にある気もするが,Charles がなぜここでこのような問題提起をしたのか,そもそもよく理解できていない。

*3:これは見込みのある提案だと思う。A7 前半の Morison 解釈もあるいはこちらの方針で見直せるのではないか。

*4:こちらの説明だと「類比によってのみ」理解されうることまでは言えないように思うが,そもそも言える必要もないかもしれない。