アリストテレスと現代本質主義 Charles, Aristotle on Meaning and Essence #1

アリストテレスと現代本質主義 Charles, Aristotle on Meaning and Essence #1

  • David Charles (2000) Arisotle on Meaning and Essence, Oxford University Press, pp.4-19.

読む義務があるのに先延ばしにしていた本。第1章は現代の議論の整理だが,不慣れな話題でどれほどよい整理か分からない。予習で SEP の "Essential vs. Accidental Properties" を読んでみたが,あまり見通しが良くなる感じはしなかった。未読だが "Natural Kinds" の項目のほうが関連度が高いと思う。


1.1 導入

  1. 言葉の意味はいかにして確定するか,意味と意味理解の関係如何。また前者の説明は後者の説明ともなるか。(言語哲学)
  2. 種についての必然的・本質的真理を何が真にするのか――思考か,世界か,その両方か。また必然性と本質の関係如何。(形而上学)
  3. 種が本質的・必然的にある特徴を持つことを,我々はいかにして知るのか。(認識論)

本書の目的は,これらの問いに対するアリストテレスの答えを理解し,彼の考えが有効な選択肢たりうることを示すことである。

1.2 現代本質主義の一形態

まずパトナムらの現代本質主義のプログラムを概観する。典型的な本質主義 (my modern essentialist) の主張によれば,「水」「金」のような名辞は本質を有する自然種と相関する。なぜなら,これらは以下の二通りの仕方のどちらかで導入されるからだ。

  • (1) 全ての可能世界 w について,全ての個体 x について,x が w において水である iff. w 内の x はこのサンプルと同じ液体である。
  • (1') 全ての可能世界 w について,全ての個体 x について,x が w において水である iff. w 内の x はこれらの湖川を満たす無色無味の液体のサンプルである。

なお (1) は (1') より基本的である。関係のある液体の把握は,実例を選び出す能力に基づいているからだ。以下,主に (1) を用いる。

(1) および (1') は「同じ液体」概念に依存している。パトナム的な特徴づけはこうである:

  • (2) 可能世界 w1 のサンプル s1 が可能世界 w2 のサンプル s2 と同じである iff. w1 の s1 は w2 の s2 と同一の,確定的 (determining)・基本的な物理的特徴を有する。

だが (1) (2) は驚くべき帰結を持つ。すなわち,(3) を前提に加えると,(4) が帰結する。

  • (3) この世界の水は,基本的な物理的特徴として,水素と酸素からなるという特徴を持つ。
  • (4) 水がこの世界で水素と酸素とからなるなら,必然的に水素と酸素とからなる。

典型的な本質主義者は「(4) の必然性の源泉は特に (2) における (例えば「これこれの特徴を持つものを「水」と呼ぶ」という) 規約である」と論じる。だが,別の選択肢も取れる。民主主義的カント主義者 (democratic Kantians) は,(2) を規約主義的に解釈せず,むしろ (2) は世界理解の可能性の条件に依拠する,と考える。

1.3 問題と代替案

両者は (科学者でない) 名辞「水」の使用者が,次のように想定しているものと考える。

  1. 水は科学者が知っている (自分の知らない) ある基礎的特徴を有し,それが他の特徴を確定する。
  2. 水は全ての可能世界である同一の特徴を有し,それが諸可能世界における種の同一性を固定する。
  3. (1) の特徴は (2) の特徴である。

だが,反例を作ることができる。第一に,人は (1) (2) を前提しつつ (3) を不可知とするかもしれない。第二に,(2) を受け入れつつ (1) にコミットしないかもしれない。

また,(2) の規約主義的解釈を廃して,他の解釈を取るかもしれない。Salmon は (2) が「還元不可能な仕方で形而上学的」とする。だがその場合,(2) を知ることがいかにして可能になるかが問題になる。Kripke は (2) が科学的探求によりア・ポステリオリに知られるとする。すると,物理的必然性とは必然性そのものである,ということが示唆される。だが,そうしたことが可能である理由は説明を要する。

現代の議論は,必然性の基礎を我々の規約に求める方向性と,形而上学的理論の産物とする方向性とに分かれる。

1.4 アリストテレス本質主義を導入する

全ての本質主義者は,以下のことに同意するだろう。

  • F は種 K の本質的特徴である iff. F は我々が K を定義する際に選択される特徴である。

だが,この双条件文は,様々に解釈できる。典型的な本質主義によれば,本質的特徴がかくかくであるのは,我々が規約的な定義手続きの集合を有するからである (右辺が形而上学的に先行する)。プラトニストによれば,本質的特徴は理性に基づく直観が可能な者によって把捉可能である (左辺が先行する)。カント主義者は両辺が相互依存しているとし,どちらの先行性も認めない。

しかし,選択肢がこれで尽きるわけではない。アリストテレスによれば,ひとは水に科学的特徴があるか否かを知ることなしに,「水」を自然種の名辞として理解できる。こうした名辞を理解する鍵となるのは,科学者ではなく,職人 (craftsman) である (本書第I部)。

これが正しいとすれば,アリストテレスは (4) を言語哲学とは別立てに説明しなければならない。アリストテレスはそのために,形而上学的・認識論的理論を用意している (本書第II部)。

1.5 実在: アリストテレスとわが現代本質主義者の間のさらなる違い

典型的な本質主義者は (1) の導入において水の実例を用いる。それゆえ以下を仮定することになる。

  • 実在仮定 ある人が名辞「水」を理解しているなら,その種が実例を持つことを理解していなければならない。

典型的な本質主義者によれば,名辞を理解している人は,何らかの仕方で水の実例の知識を持つか,知識を持つ人に依存している。したがって,以下の二段階を区別することができない。

  1. 自然種の名辞の意味を知っていること, ii. 当の名辞が指示する種があることを知っていること。

だが,アリストテレスは,これら二段階を区別する。第I部では,これを区別しうることを示すアリストテレスの (複雑な) 試みを検討する。

1.6 必然性と本質性

典型的な本質主義者と異なり,アリストテレスは,必然的属性と本質を区別する。それゆえ,この点の形而上学的正当化,および必然的/本質的特徴を含む主張の論理的文法の意味付け,をなさなければならない。