『魂について』Γ3 #1 直知の物質的説明の棄却

De An. Γ3 427a17-427b6. 昨日の読書会の範囲。底本は Hicks. Γ3 は φαντασία に関して研究文献が数多ありそう。


[427a17] 何よりまず,二つの事柄が相違点において魂を規定するのだから――すなわち場所に関する運動の点で,および直知すること,ないしは判別し感覚することの点で――,直知することと思慮することとは,あたかも何ごとかを感覚しうることであるかのようであると思われるし (というのも,これら両者において,そうあるものどもの何ごとかを,魂は判別し,認識するから),また少なくとも昔の人々は,思慮することと感覚することは同一であると主張している,ちょうどエンペドクレスが,「眼前にあるもの (παρεόν) に対して,人間どもにとって知恵 (μῆτις) は増すから」と述べ,他の箇所では「そのことのゆえに,彼らにとって,つねに別のことどもも思慮することが心に浮かんだ」と述べていたように。これらと同一の事柄を,ホメロスの「知性 (νόος) はそのようなものであるから」〔という句〕も意味している。というのも,これらの人々はみな,直知することを感覚することと同様に物体的であると仮定しており,かつ,ちょうど最初の議論において我々が規定したように,似たものを似たものによって感覚し思慮すると仮定している。そしてしかし,同時に誤りに陥ることについても自ら語るべきであった。というのも,〔誤りは〕動物に固有であり,魂はより多くの時間,そのうちにあり続けるから。そのゆえに,幾人かの人が語るように全ての現れが真であるか,あるいは,誤りとは似ないものの接触である,ということが必然である。しかし反対のことどもの誤りと知識は同一であると思われる。

訳注

訳語: νοεῖν: 直知する,κρίνειν: 判別する,φρονεῖν: 思慮する,γνωρίζειν: 認識する,ἠπατῆσθαι: 誤りに陥る。

  • 引用句の原語は一部本文中に示した。
  • ἀπάτη は一般的には 'trick, fraud, deceit' (LSJ).
  • 特に νοεῖν, φρονεῖν はどういう訳語を充てるのが適当かよく分からない。いずれにせよ,これらは「ἐπιστήμη を持つ」ことと共に,ここまでは互換的に論じられていると思う。以下でもニュアンスの相違にこだわらず「知る」などの言葉でまとめる。

論証構造

「直知=感覚」説の動機を示し,次いでそれを dialectical に論駁する。

  • 動機:
    1. (直知と感覚は,魂の定義の構成要素として併置される。)
    2. 昔の人々 (エンペドクレス,ホメロス。以下 A) もそう主張している。
  • 反駁:
    • A は直知を物体的に捉え,似たものの接触によって直知すると考える。
    • だが,誤るという現象について考えるなら,A は以下のいずれかを選ばねばならない。
      1. (全ての現れが真である,)
      2. 誤りとは,似ないものの接触である。
    • 2 なら,p と q が反対のとき,〈p と q を知る〉ことと,〈p と q とを誤って捉える〉ことが,魂のあり方として同一になる。(したがって不条理。)

内容注

  • エンペドクレス断片 (DK21, B106, 108) のコンテクストは要確認。Metaph. Γ5 が対応箇所。
  • 「全ての現れが真である」が選択肢として無視されていることは興味深い。