今週読んだ本

佐藤真理恵『仮象のオリュンポス』

古代ギリシアの πρόσωπον 概念 (ないしその関連概念,またそれらに関連する視覚表象) に関する論考。様々な時代・ジャンルの文献や美術品の分析がなされており,それを見るだけでも勉強になる。

他方「概念系を〔…〕あえてアナクロニックに横断していく」(12頁) 方法論の妥当性はやはり疑わしいと思う。アイソーポス,プラトンルキアノスが πρόσωπον をめぐる共通の「概念系」を――この語の意味をよほど緩く取るのでない限り――有していたわけではないはずだから。実際ダイアクロニックな軸を組み入れないことで叙述が却って平板になっている印象も受けた。

マッシモ・ボンテンベッリ『鏡の前のチェス盤』

1922年作の掌編。実物と鏡像,戦争とチェス,人間とマネキンの写し関係が転倒した鏡の世界を子供が冒険する話。楽しめた。

今野元『教皇ベネディクトゥス十六世』

教皇ベネディクト16世ことヨーゼフ・ラッツィンガーの伝記。現教皇フランシスコの同性愛や中絶に関する意見発信が昨今ニュースになっているけれども,これといわば反対の極の人々はどういう理屈で動いているのか,ということが気になったので読んだ。

内容はラッツィンガーの経歴と神学的立場の発展を同時代ドイツやヨーロッパの社会史・政治史を背景に叙述するもので,なかなか読み応えがある。著者は総じてラッツィンガーの学識に裏打ちされた保守的態度*1にかなり共感的で,反対に例えばライヴァルであった左派のカトリック知識人ハンス・キュングの言動などはけっこう辛辣な筆致で描かれている。

話の本筋ではないが,自分にとって意外だったのは現教皇の評価で,彼は「キュングのような決然たる進歩派ではなく,ヨーロッパでの論争とは全く別の宇宙人のような存在である為,今後の言動は読めない」(385頁) と述べている。このあたりは単純な保革対立の軸で見ると見誤るということだろう。

*1:もっとも本当は簡単に「保守派」に入れて済ませられるわけでもない。例えば,第三章で活写されるように,第二ヴァチカン公会議ではむしろ改革派に立っていたらしい。その後常にこの公会議の帰結に対処し続けねばならなかったラッツィンガーを,著者は「魔法使いの弟子」 (391頁) に準えている。