プラトンの分割法とアリストテレスの問答法 Solmsen, "Dialectic without the Forms"
- Friedrich Solmsen, "Dialectic without the Forms" in G. E. L. Owen (ed.) Aristotle on Dialectic: The Topics. Proceedings of the Third Symposium Aristotelicum. Oxford: Clarendon Press. 49-68.
以下のことが主張される。
- 問答法はプラトン哲学の核心だが,アリストテレス哲学においては降格されている。(pp.49-55, 65-68)
- アリストテレスの問答法は,プラトンの分割法の存在論的・形而上学的含意を捨象し,論理学的方法のみを取り出したものである。(pp.55-65)
あまり読みこなせなかった。比較対象であるプラトンのとりわけ後期対話篇の知識が不足している。納富『ソフィストと哲学者の間』を読んでから出直すこと。
問答法はプラトン哲学の頂点である (Rep. 532d, etc.)。「何であるか τί ἐστιν」を問うソクラテスの方法を,彼は初期から後期(『ソフィスト』『ポリティコス』)にいたるまで維持した。
アリストテレスにあっては,問答法の地位ははるかに低下している。なるほど確かにアリストテレスも,「何であるか」の問いや,ディアレゲスタイの形式,エイドスの定義の仕方などの点で,プラトンの問答法を引き継いでいる。だが,問答法をエンドクサ (τὰ δοκοῦντα) を扱うものとして厳密な論証と区別する点でプラトンから決定的に離反している。問答法はまた哲学とも切り離される (Top. 101a34)。
アリストテレスの問答法とプラトンの分割法は定義の探求という目的を共有している。*1γένος, διαφορά, εἶδος といった用語法などもプラトンの理論に従っている。だが γένος や εἶδος の存在論的地位についてはプラトンの議論を引き継いでいない。εἶδος の本性を調べるのは別の仕事 (πραγματεία) であるという専門分化主義を,このことは反映している。もっとも,イデアの教説が無視されているわけではなく,いくつかのトポスについてはイデア論を採る論者が明示的に念頭に置かれている。しかし逆に言えば,残りの大部分のトポスはイデア論と無関係であるということでもある。"The truth is that what Aristotle has really taken over is the logical scaffolding of the diairesis, not at all the ontological or metaphysical edifice." (p.61)
*1:"Aristotle here urges his his audience to resort to these τόποι collected for accidens, proprium, and genus provide useful ammunition agaist proposed definitions; Aristotle here urges his audisence to resort to these τόποι whenever the validity of definitions is to be examined. Considered in the light of these sentences, books ii, iv, and v would seem to be subsidiary or preparatory to the main subject of the dialectical μέθοδος." (p.56)