ブレンターノの判断論 Brandl, "Brentano's Theory of Judgement" #1

標記の SEP の記事を読む。長いので二回に分ける。直接の目的は P. Simons, “Brentano’s Reform of Logic” を読む準備。

要約

ブレンターノにとって認識論と論理学はともに判断の概念に基礎を置くものであった。彼は述定判断を実在判断の特殊事例とみなし(実在的(existential)、↔アリストテレス)、判断を表象と区別し(特種的(idiogenetic)*1、↔カント)、また必ずしも命題的なものと見なさなかった(事物主義的(reistic)、↔フレーゲ)。心理主義は時代遅れであるにしても、説明の順序として真なる信念や判断と真なる命題のどちらを先に置くかという問いは今日なお開かれており、そのかぎりでブレンターノの判断論は現代的な意義を持ちうる。

1 判断の本性

ブレンターノの判断論は Psychologie vom empirischen Standpunkte の7章と補遺IX、およびヴュルツブルク (1869-71) とイエナ (1875-89) での論理学講義に見られる。彼の主要な主張は次の三つである:

  1. 判断はある対象が表象(presentation)において与えられていることを必要とするが、それが述定されていることを必要としない。(基礎テーゼ foundational thesis)
  2. 表象される対象が実在するか否かに応じて、判断は肯定的でも否定的でもありうる。(極性テーゼ polarity thesis)
  3. 判断は「Aが実在する(A exists)」あるいは「Aは実在しない」という形において最も明瞭に表現される。(実在テーゼ existential thesis)

これらの主張すべてが後の世代にとっては問題含みであった。弟子たちは Sachverhalte 概念を導入し、それが Gebilde か否かを論じはじめた。ブレンターノは判断の対象が何であるかは自明でないと考えていたが、この潮流のためにその問題意識は影が薄くなった。

2 基礎テーゼと判断 / 述定の区別

伝統的論理学は、判断("S is (not) P")に二つの表象(S と P)が含まれることを示唆する。だがブレンターノは実在判断をこの反例と見なし、これを “A+” および “A-” という図式で表す。かくして述定は判断において必要ではないが、さらに十分でもない。S への P の述定は S と P からなる複合的観念を作るだけであり、これを判断とみなす「判断の結合理論」は受け入れ(acceptance)/ 棄却(rejection)*2という質的な契機を見逃している。

ブレンターノは後に Psychologie 第二版で「二重判断」を導入する。ひとはまず S の実在を受け入れ、次いでそれが性質 P を持つか否かを判断する。この見方によれば、述定は二つの判断の結合である。これはフレーゲの「命題の把握」と「それが真であるという判断」という区別より込み入っているが、述定 / 判断の区別は維持されている。

3 極性テーゼと判断 / 否定の区別

ブレンターノによれば、判断はつねに肯定的 / 否定的のいずれかであり、表象はどちらでもない。判断と表象の区別は反カント的であり、否定的判断を認める点は反フレーゲ的である。ブレンターノの考えでは、真偽の二極性は反対の判断を下す能力に基づく。

ライナッハは判断は常に肯定的であると考え、しかもブレンターノと同様に判断の本性についての考察からそう主張する。彼によれば、質的に否定的な判断があると考えるのは、「社会的行為」(今日のいわゆる「言語行為」)としての応答と心的行為としての判断との混同の結果である。だが、この批判はブレンターノには当てはまらない。そもそもブレンターノにおいては、判断の対象はそもそも非命題的な表象であり、古典的経験論における「観念」に近い。精神はこの対象が実在するか否かを(他者なしに)自問しうる。判断の対象が事態であるという前提にもとづくライナッハの批判は論点先取を犯している。とはいえライナッハの議論は、受け入れ / 棄却というブレンターノの術語の特異さを的確に際立たせている。これらは社会的でも価値的でもない。むしろ心的行為の基本的なカテゴリーであり、しかし意志に還元されない。

否定的判断の存在は今日一部の論者に支持されている。事態概念の拒否はより困難である。後者の根本には判断主体と独立に真あるいは偽なる事実の存在に関する不一致がある。ブレンターノの立場は必ずしも相対主義を含意しない(神を判断主体に置く場合を考えよ)。

4 否定的概念

そうだとすれば、否定的概念(「大きくない」など)の形成はどう説明するのか?ブレンターノによれば、これも高階の心的操作を必要とする。対象から「大きい」という属性を除去するのではなく、対象の大きさを棄却することによって、対象が「大きくない」という判断がなされるのだ。

この分析はブレンターノによる論理の扱いに反映されている。初めにブレンターノは四種類の判断について次のようなパラフレーズを行う。

  • (I) ある S は P である → P であるような S がある
  • (E) いかなる S も P でない → P であるような S はない
  • (O) ある S は P でない → 非 P であるような S がある
  • (A) すべての S は P である → 非 P であるような S はない

このうち O と A は、表象のレベルに否定が入り込んでいるという問題がある。後にブレンターノは次のような分析にたどり着く。

  • (I) ある S は P である → ある S があり、S は P である
  • (E) いかなる S も P でない → 誰も「ある S は P である」と判断するのが正確ではない(There is no one who correctly judges “Some S is P")
  • (O) ある S は P でない → S が存在し、S は P でない
  • (A) すべての S は P である → 誰も「ある S は P でない」と判断するのが正確ではない

こちらの分析ではすべての否定が否定判断の形になっており、極性テーゼを保証する。ただしこのように否定概念を扱うのは、ブレンターノが認めるとおり、複雑で非実用的ではある。

*1:定訳不明。idion genos からの造語。

*2:原語は Anerkennung および Verwerfung.