トランスジェンダーとフェミニズム Bettcher (2014) "Feminist Perspectives on Trans Issues" #1

  • Talia Bettcher (2014) "Feminist Perspectives on Trans Issues" The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2014 Edition), Edward N. Zalta (ed.), 1-22.

SEP の項目の要約.長めの記事なので少しずつ読む.今回は4節まで.ここはトランスジェンダー研究前史にあたる内容で,20世紀中頃までの医学的な議論,および初期の非トランス・フェミニストであるジャニス・レイモンドと,トランスジェンダー研究の草分けとされるサンディ・ストーンの論争が扱われる.

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アリストテレスに機能主義を帰することはできない Burnyeat (1992) "Aristotelian Philosophy of Mind"

M. F. Burnyeat (1992) "Is an Aristotelian Philosophy of Mind Still Credible? (a Draft)" in M. C. Nussbaum and A. O. Rorty (ed.) Essays on Aristotle's De Anima, Clarendon Press, 15-26.

Putnam, Nussbaum のようなアリストテレスに機能主義を帰する立場を,Sorabji のように感覚プロセスを生理的変化と同一視する立場とともに批判し,アリストテレスの立場と問題意識は現代人と共有可能なものではない,と論じる論文.

重要な問題提起をしているとは思うけれど,完全には説得されない.特に 'matter' 概念あたりで誤謬推理を犯してないかが気になる.

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『自然学』III.3 は新しい種類の存在者を措定する Marmodoro (2008) "The Union of Cause and Effect"

  • Anna Marmodoro (2008) "The Union of Cause and Effect in Aristotle: Physics 3.3" Oxford Studies in Ancient Philosophy 32, 205-232.

ばりばり実在論的な解釈を与える論文.近年の英語圏に限れば,ぱっと調べた限り,他に以下の諸論考が Phys. III.3 を主題的に扱う: Gill (1980), Waterlow (1982) Ch.4, Coope (2005), Anagnostopoulos (2017). また D. Charles の Action 本が注で長めに引かれている (225n25) .

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和田光弘『植民地から建国へ』

同シリーズの第3巻が面白かったのと,アメリカ建国期の歴史に多少興味があって読んだ.第1章ではベーリング陸橋を介した人類の移住から説き起こして,先住民世界に簡単に触れた後,新大陸の「発見」と植民地の形成過程を叙述し,次いで第2章で大西洋世界における人・物品・貨幣の流通システムとその中での新大陸の植民地の位置づけを示す (本書では貨幣などのモノから歴史的事情を読み解く作業が一貫して行われている).第3章でアメリカ独立革命に大きく紙幅が割かれた後,第4章で対イギリスの1812年戦争までの政治の帰趨を論じて締めくくられる.

様々なポイントのある本だが,「国民国家としてのアメリカが,いつ,どのように生成したのか」という問いは重要なものの一つだろう.まず著者曰く,「〔…〕早期のアメリカ人意識の成立を前提に,あたかも熟した実が枝から自然に落ちるかのごとく革命を説明するかつての論は,正鵠を射ているとは言いがたい」(100頁).例えば印紙法の導入 (1765) に対して植民地人たちは当初「有益なる怠慢」への復帰を求めたに過ぎず,この慣行は植民地エリート層のイギリス人意識を支えるものだった.アメリカ人としてのナショナル・アイデンティティは,むしろ革命の動きのなかで事後的・人為的に生成されたのだという.「建国神話」の中枢をなすベッツィ・ロスの逸話の生成過程 (141-150頁) も興味深い.

フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』

Pedro Páramo (1955).メキシコの小説.冒頭,母を亡くしたフアン・プレシアドという語り手が,父ペドロ・パラモに会いにコマラという町を訪れる.だがペドロは既に死んでおり,フアンもコマラで死ぬ.最初の語り手の話は埋葬されたフアンが老婆ドロテアに語ったものだと小説の折返し点で判明する.ペドロ・パラモは成り上がりの残忍な権力者で,かれの一生の物語が小説の中心をなしているが,形式上は断片的な挿話がばらばらに並んでおり,幾つかの物語が錯綜したしかたで結びついている.例えば序盤で幼少期のペドロの物語に《おまえのことを考えてたんだ,スサナ……》という内語が唐突にさしはさまれるが,スサナがペドロの幼馴染であり,最後の妻であること,はスサナが墓場で独語する後半の場面になって初めてわかる.こうした幻惑的な語りの交錯が,コマラというトポス,生者より多くの死者が彷徨う「ささめき」に満ちた灼熱の低地を読者に印象づける.仕掛けに満ちた小説で,いずれ時間をかけて分析的に読み返したい.