『自然学』III.3 は新しい種類の存在者を措定する Marmodoro (2008) "The Union of Cause and Effect"

  • Anna Marmodoro (2008) "The Union of Cause and Effect in Aristotle: Physics 3.3" Oxford Studies in Ancient Philosophy 32, 205-232.

ばりばり実在論的な解釈を与える論文.近年の英語圏に限れば,ぱっと調べた限り,他に以下の諸論考が Phys. III.3 を主題的に扱う: Gill (1980), Waterlow (1982) Ch.4, Coope (2005), Anagnostopoulos (2017). また D. Charles の Action 本が注で長めに引かれている (225n25) .

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和田光弘『植民地から建国へ』

同シリーズの第3巻が面白かったのと,アメリカ建国期の歴史に多少興味があって読んだ.第1章ではベーリング陸橋を介した人類の移住から説き起こして,先住民世界に簡単に触れた後,新大陸の「発見」と植民地の形成過程を叙述し,次いで第2章で大西洋世界における人・物品・貨幣の流通システムとその中での新大陸の植民地の位置づけを示す (本書では貨幣などのモノから歴史的事情を読み解く作業が一貫して行われている).第3章でアメリカ独立革命に大きく紙幅が割かれた後,第4章で対イギリスの1812年戦争までの政治の帰趨を論じて締めくくられる.

様々なポイントのある本だが,「国民国家としてのアメリカが,いつ,どのように生成したのか」という問いは重要なものの一つだろう.まず著者曰く,「〔…〕早期のアメリカ人意識の成立を前提に,あたかも熟した実が枝から自然に落ちるかのごとく革命を説明するかつての論は,正鵠を射ているとは言いがたい」(100頁).例えば印紙法の導入 (1765) に対して植民地人たちは当初「有益なる怠慢」への復帰を求めたに過ぎず,この慣行は植民地エリート層のイギリス人意識を支えるものだった.アメリカ人としてのナショナル・アイデンティティは,むしろ革命の動きのなかで事後的・人為的に生成されたのだという.「建国神話」の中枢をなすベッツィ・ロスの逸話の生成過程 (141-150頁) も興味深い.

フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』

Pedro Páramo (1955).メキシコの小説.冒頭,母を亡くしたフアン・プレシアドという語り手が,父ペドロ・パラモに会いにコマラという町を訪れる.だがペドロは既に死んでおり,フアンもコマラで死ぬ.最初の語り手の話は埋葬されたフアンが老婆ドロテアに語ったものだと小説の折返し点で判明する.ペドロ・パラモは成り上がりの残忍な権力者で,かれの一生の物語が小説の中心をなしているが,形式上は断片的な挿話がばらばらに並んでおり,幾つかの物語が錯綜したしかたで結びついている.例えば序盤で幼少期のペドロの物語に《おまえのことを考えてたんだ,スサナ……》という内語が唐突にさしはさまれるが,スサナがペドロの幼馴染であり,最後の妻であること,はスサナが墓場で独語する後半の場面になって初めてわかる.こうした幻惑的な語りの交錯が,コマラというトポス,生者より多くの死者が彷徨う「ささめき」に満ちた灼熱の低地を読者に印象づける.仕掛けに満ちた小説で,いずれ時間をかけて分析的に読み返したい.

同一性の相対性 Geach (1967) "Identity"

  • Peter Geach (1972) Logic Matters, Basil Blackwell.
    • Ch.7. "Identity Theory", 238-249. (First published in Review of Metaphysics 21(1), 1967 & 22(3), 1969.)

Wiggins, SSR の批判対象のひとつ.さしあたり SEP の "Relative Identity", esp. §5 が参考になりそう.

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アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』

Asylum Piece (1940).表題作のほかに幾つかの掌編を収める.掌編はすべて一人称形式であり,ほぼすべてで,語り手が何らかの途方もない迫害を被る−−審判を宣告され,尊厳を挫かれ,機械や牢獄のかたちに具現化した病に苦しめられる.淡々とした文体ではあるが,カフカなどよりはいくぶん私秘的・観念的で,幻想的光景へと昇華された迫害妄想のように読めるものもある.

アサイラム・ピース」は「アサイラム・ピース I」から「アサイラム・ピース VIII」までの8章から構成される.精神療養所に収容され,そこから逃れられない運命にある患者たちを描く.掌編の「私」に対する様々な迫害に,見えざる掟が支配する療養所という具体的な場所を与え,客観的に描写しなおしたような趣きがある.多くは無根拠な希望とその喪失,陰鬱な日常への回帰,というループを描くが,ある女性患者とスイス人の看護婦との一瞬の精神的交流を記した「アサイラム・ピース VI」は例外的で,この一章がかえって「アサイラム」に独特のリアリティを添えているように感じられる.

魯迅『故事新編』

原書は1936年刊行.標題のとおり故事に取材した寓話集.読んだ覚えがなかったが,読み始めるとあちこちに既視感を覚えたので,少なくとも部分的には再読のようだ.

取材のしかたはさまざまで,一方には雄大コスモロジーを背景にしながら,女媧の力強くも素朴な姿と,頭でっかちで卑小な人間たちとを対比する寓話があり,他方で嫦娥奔月の神話を甲斐性のない夫が妻に逃げられる話に読み替える喜劇もある.いずれにしても風刺的要素が強く,また時局性もあるようだ.例外は (訳者の竹内好も指摘するように)「剣を鍛える話」(「鋳剣」) で,『捜神記』などに見える逸話にもとづく壮絶な復讐譚.個人的にはこれが特に気に入り,種本のほうも読んでみたいと思わされた.「古人をもう一度死なせるような書き方だけはしなかった」という魯迅の自負は−−明らかにそれは簡単なことではない−−もっともだと思う.竹内のほかに武田泰淳が解説を寄せており,もはや解説者たち自身もすでに文学史に属している.

シルヴィア『論文生産術』

  • ポール・J・シルヴィア (2015)『できる研究者の論文生産術』講談社

これは大変良い本だった.ためになり,面白く,ごもっともなことしか書いてない.心理学者が心理学的知見に基づいて書いているのもポイント.特に2-3章の内容は拳々服膺したい.修士一年のこの時期に読んでおいてよかった.