山口輝臣『明治国家と宗教』

明治期 (とりわけ宗教という観念が一定の定着を見た明治10年代以降) の日本における諸宗教をめぐる政策の形成・変容を,その背後にある「宗教」そのものの意味の変化まで見据えつつ,実証的に明らかにする研究書.年をまたいで読み終えたが,この本はかなり面白かった.

「はじめに」で語られている問題意識は,おおよそ以下のようなものである.「国家と宗教の関係」如何ということは,日本については国家神道の研究とイコールであった.だが現在この方面の研究は行き詰まっている.すなわちその核心を思想・精神面 (村上重良),神社非宗教論 (平野武),制度としての神社神道 (阪本是丸) に置く相異なる見解が併存する一方,この相違が充分自覚されないことが研究蓄積の妨げになっている.さしあたり素直な出発点として神社非宗教論を取り上げるとしても,そこでそもそも宗教とはいかなるものと考えられていたかということを,現代の我々の宗教観を形作った宗教学以前に遡って捉え,そこから国家と宗教の関係を見ていかなければならない.

最初の準拠点となるのは宗教の「語り方」である.「語り方」とは「ある事柄––例えば宗教––について議論を組み立てる際に繰り返し現れる問題設定,それへの接近法,その理由付け……いかにも常識的といった議論においてはもちろん,そうではないユニークな議論においてもそのユニークさへと至る道程に用いられているような,つまりその時点である事柄を論ずるにあたって,誰もが踏まえざるを得ないような問題設定や理由付け」(20頁) であり,「凡庸性」「匿名性」によって特徴付けられる.

宗教には19世紀的な語り方 (第一部第一章) と20世紀的な語り方 (第二部第一章) が存在する.おおよそ姉崎正治に代表される「宗教学」成立以前以後と言ってよい.19世紀的な語り方では,宗教は他のもの (e.g. 文明,道徳,学術) との比較において或いは弁証され或いは批判される.また「自然宗教から天啓宗教へ」といった仕方で時系列に沿った価値付けが行われる.そしてキリスト者のみならず,円了のような仏教者も同型の語り方を用いた.なお宗教の「進化」が語られる限り,宗教は一方で遍在し,他方で一定の「資格」を要求されることになる.結果としてはキリスト教と仏教がこの「資格」を得,他の例えば神道は––宗教の枠組みにおいて二教に劣後することを潔しとしない限りで––非宗教化することになる.これに対して,20世紀的な (宗教学に端を発する) 語り方では,宗教は普遍的な宗教的意識が社会に個別の形で現象したものと捉えられる.したがって他との関係に依存せず語りうるようになり,またキリスト教・仏教を中心とした規範的類型論は廃れる.こうした宗教の拡大によって,非宗教としての神社という従来の語り方は困難を孕んだものになる.

こうした見通しのもとで,明治期日本の宗教政策過程 (ただし当時必ずしも「宗教」という枠組みのもとで観念されていたわけではない) が検討される.大まかに言えば,伝統的に禁制が敷かれていたキリスト教の扱いについての初期の模索 (第一部第二〜四章),神社と国家の関係をめぐる綱引き (第一部第五章,第二部第二章以降) に注目する.後者については「語り方」の変容とともに民主化が政策の変化に影響を及ぼすありさまが描かれる.大きく言えばそれは,国庫から神社を切り離し「独立自営」方針を打ち立てた明治19年の「神社改正之件」に結晶する政策体系が,帝国議会設立以後の崩壊してゆく過程であったという.(簡単にまとめてしまったが,もとより政策過程研究パートが本論である.)

全体のおおよその内容は「おわりに」で振り返られており,一読した後の内容の再確認に役立つ.