『後書』におけるメノンのパラドクスの解決 Bronstein (2016) Aristotle on Knowledge and Learning #1

  • David Bronstein (2016) Aristotle on Knowledge and Learning. Oxford University Press, 11-27.
    • Ch.1. Meno's Paradox and the Prior Knowledge Requirement.

Bronstein (2010) OSAP 38: 115-41 がもとになっている。まだパラドクスの箇所を自分でしっかり読めてないので,ここの『メノン』解釈そのものの是非は μὴ οἶδα τὸ παράπαν ではある。


アリストテレスは知識の獲得可能性を疑わなかったが,これを疑うメノンのパラドクスの吟味は知識がどう獲得されるかの理解に資すると考えた。本章では,『メノン』におけるパラドクスの提示,APo. A1 における言及,および「学びは先行する知識・認識を必要とする」という主張について論じる。

1. メノンの三つの問い

T3*1 Μένων καὶ τίνα τρόπον ζητήσεις, ὦ Σώκρατες, τοῦτο ὃ μὴ οἶσθα τὸ παράπαν ὅτι ἐστίν; ποῖον γὰρ ὧν οὐκ οἶσθα προθέμενος ζητήσεις; ἢ εἰ καὶ ὅτι μάλιστα ἐντύχοις αὐτῷ, πῶς εἴσῃ ὅτι τοῦτό ἐστιν ὃ σὺ οὐκ ᾔδησθα;

Σωκράτης μανθάνω οἷον βούλει λέγειν, ὦ Μένων. ὁρᾷς τοῦτον ὡς ἐριστικὸν λόγον κατάγεις, ὡς οὐκ ἄρα ἔστιν ζητεῖν ἀνθρώπῳ οὔτε ὃ οἶδε οὔτε ὃ μὴ οἶδε; οὔτε γὰρ ἂν ὅ γε οἶδεν ζητοῖ — οἶδεν γάρ, καὶ οὐδὲν δεῖ τῷ γε τοιούτῳ ζητήσεως - οὔτε ὃ μὴ οἶδεν - οὐδὲ γὰρ οἶδεν ὅτι ζητήσει.

メノンの三つの問いは,以下の二つの主張 (メノンのパズル) を示唆する。(一つ目と二つ目が M1, 三つ目が M2 に対応する。)

  • (M1) もし徳とは何であるかを全く知らないなら,徳とは何であるかを探求することはできない。
  • (M2) もし徳とは何であるかを全く知らないなら,徳とは何であるかを発見することはできない。

2. ソクラテスのジレンマ

ソクラテスはこれをジレンマとして定式化する (ソクラテスのジレンマ)。

  • (S1) 全ての x について,ひとは x を知っているか,x を知らないかのいずれかである。
  • (S2) もし x を知っているなら,x を探究できない。
  • (S3) もし x を知らないなら,x を探究できない。
  • (S4) したがって,x を探究できない。

ソクラテスのジレンマは,知識を「全か無か」で捉える見方に依拠する。(なお「x を完全に知っている」とは,x の想起された ἐπιστήμη を有することである。x の想起されていない ἐπιστήμη を有するときは,完全な知識は有していない。) そう見ると S1 は偽であり,想起説が以後ここを衝く。

3. メノンとソクラテスによる先行認識の要請

すると M1 は「探求のための先行認識の要請 (PCRI)」,M2 は「発見のための先行認識の要請 (PCRD)」と呼べる。ソクラテスのジレンマも PCRI をなす。ここで要請されるのは必ずしも先行する ἐπιστήμη ではない。

4. アリストテレスの習得についての見解: 先行知識の要請

アリストテレスも先行認識の要請を行なっている。

T1 Πᾶσα διδασκαλία καὶ πᾶσα μάθησις διανοητικὴ ἐκ προϋπαρχούσης γίνεται γνώσεως.

教えることは学ぶことから定義される (Phys. 202b1-22)。学びは定義されていないが,「知識 (knowledge, γνῶσις) を得ること」という定義が尤もらしい。'διανοητικὴ' を規定に入れることで無限後退をブロックしている。なお学びは教授を含意しない。

5. アリストテレスの知識についての見解

語 γνῶσις は意味が広く訳出しがたいが,あらゆる真なる認識 (all true cognition) を指すと考える。ここで「知識」と訳すのは,(1) 真であり,(2) その獲得が学びの十分条件となるから。'Knowledge' は強すぎる,という反論はありうるが,日常語の 'knowledge' が 'true cognition' を意味しうると考える。

Burnyeat は γνωρίζειν, γιγνώσκειν を 'to know', ἐπίστασθαι を 'to understand' と訳すが,後者が前者の一種であることがぼかされてしまう*2。以下の用法を区別しなければならない:

  1. ἐπίστασθαι の定義に登場する γιγνώσκειν.
  2. ἐπίστασθαι の代わりとなる γιγνώσκειν.
  3. ἐπίστασθαι より低い水準の知識を意味する γνωρίζειν, γιγνώσκειν.
  4. γνῶσις の獲得を意味する γνωρίζειν, γιγνώσκειν.
  5. ἐπίστασθαι が属する類となる γιγνώσκειν.

5 は 1 から帰結する。εἰδέναι は 1-3 と同義。以下では ἐπιστήμη を「学問的知識 (scientific knowledge)」と訳す。

アリストテレスは知性 (νοῦς) と知覚を両端として知識の諸水準を区別する。ある心的状態は γνωστικώτερον であり (B19, 100a12), ある対象は γνωριμώτερον である。学びとは低水準から高水準への推移である。知性が最高水準に位置するのは,部分的には対象が本性上最もよく知られるからである。ただし高水準と低水準で対象が同一である場合もある。その際,定義 D の知性的知識が D の非知性的知識より γνωστκώτερον なのは,前者が D をそれ自体として (as such, i.e. 定義ないし第一原理として) 把握するからである。

6. 何についての先行知識か?

対象 x の学びは,(i) x についての先行知識からなされる場合と,(ii) x と適当な関係に立つ y についての先行知識からなされる場合とがある。

前者の例: 三角形についての端的な知識 ← 普遍的知識 (71a17-29),月食の本質の知識 ← 本質の部分的知識 (93a21-9)。

アリストテレスの見解は以下の通り。

T4 ἀλλ᾽ οὐδέν (οἶμαι) κωλύει, ὃ μανθάνει, ἔστιν ὡς ἐπίστασθαι, ἔστι δ᾽ ὡς ἀγνοεῖν· ἄτοπον γὰρ οὐκ εἰ οἶδέ πως ὃ μανθάνει, ἀλλ᾽ εἰ ὡδί, οἷον ᾗ μανθάνει καὶ ὥς. (71b5-8)

後者の例: 月食の本質の知識は,月が地球に影を落とせないこと (月食の本質に含まれないがそれと関わる先行知識) から知られる。

7. プラトンアリストテレスにおける先行認識と先行知識

プラトンは偽なる認識を先行認識として認めうる点でアリストテレスと異なる*3。一方それに加えて,プラトン潜在的内在的 ἐπιστήμη を措定して十分条件をクリアするが,アリストテレスはこれを拒否する。

8. APo. 1.1 における同時的な学び

T5 (a) Ἔστι δὲ γνωρίζειν τὰ μὲν πρότερον γνωρίσαντα, τῶν δὲ καὶ ἅμα λαμβάνοντα τὴν γνῶσιν, οἷον ὅσα τυγχάνει ὄντα ὑπὸ τὸ καθόλου οὗ ἔχει τὴν γνῶσιν. (b) ὅτι μὲν γὰρ πᾶν τρίγωνον ἔχει δυσὶν ὀρθαῖς ἴσας, προῄδει· ὅτι δὲ τόδε τὸ ἐν τῷ ἡμικυκλίῳ ἐστιν, ἅμα ἐπαγόμενος ἐγνώρισεν. (71a17-21)

T5a は複数の知識の同時的な学びが可能だと述べる。T5b は「(大前提,既知) 全ての三角形は 2R (小前提) 半円中のこの図形 C は三角形 (結論) C は 2R」という推論を例示する。大前提は幾何学者の「第一現実態」知識 (DA B1, B5) である。

T5 に続き幾何学者の先行知識が次のように特定される:

T6 (a) πρὶν δ᾽ ἐπαχθῆναι ἢ λαβεῖν συλλογισμὸν τρόπον μέν τινα ἴσως φατέον ἐπίστασθαι, τρόπον δ᾽ ἄλλον οὔ. (b) ὁ γὰρ μὴ ᾔδει εἰ ἔστιν ἁπλῶς, τοῦτο πῶς ᾔδει ὅτι δύο ὀρθὰς ἔχει ἁπλῶς; (c) ἀλλὰ δῆλον ὡς ὡδὶ μὲν ἐπίσταται, ὅτι καθόλου ἐπίσταται, ἁπλῶς δ᾽ οὐκ ἐπίσταται.

(i) ひとは (存在に気づいている) ある三角形が 2R であることを端的に知っており,(ii) (存在に気づいていない) ある三角形が 2R であることを普遍的に知っている。これは C が 2R であることを知っている二通りの仕方である。

9. APo. 1.1 におけるメノンのパラドクス

つづいてメノンのパラドクスが導入される。

T7 εἰ δὲ μή, τὸ ἐν τῷ Μένωνι ἀπόρημα συμβήσεται· ἢ γὰρ οὐδὲν μαθήσεται ἢ ἃ οἶδεν.

'ἢ ... ἢ ...' はソクラテスのジレンマを想起させる。一方で,アリストテレスのジレンマは,特殊の対象についてのものである。またアリストテレスの「学び」はソクラテスの「探求」の一部をなす。したがって,アリストテレスのジレンマはソクラテスのそれの一事例と言える。

ここでのパズルは以下の通りである。

  • (A1) 幾何学者は C が 2R であることを端的に知っているか,完全に無知であるかのいずれかである。
  • (A2) 幾何学者が C が 2R であることを端的に知っているなら,それを学ぶことはできない。
  • (A3) 幾何学者が C が 2R であることに完全に無知であるなら,それを学ぶことはできない。
  • (A4) それゆえ,幾何学者は C が 2R であることを学ぶことはできない。

アリストテレスの解決は,「全か無かの見方は誤りであり,幾何学者は普遍的に,かつ端的でない仕方で,C が 2R だとあらかじめ知っている」というものである。

*1:本書は引用箇所に通し番号が割り振られている。T1 (APo. 71a1-2), T2 (992b30-3) は序論で引用された。

*2:この辺りの英語のニュアンスは正直わからない。日本語の「知る」「理解する」だとあまりそんな感じはしない。

*3:22n59: Fine 2014, 195