古代における「ソクラテス以前」概念 Laks, The Concept of Presocratic Philosophy #1

  • André Laks (2018) The Concept of Presocratic Philosophy: Its Origin, Development, and Significance. trans. by Glenn W. Most. Princeton-Oxford: Princeton University Press. 1-18.

André Laks (2006) Introduction à la "philosophie présocratique" の英訳。ペーパーバック版は2019年刊行。


ソクラテス以前 (Presocratic)」という用語の初出は知られる限りで Eberhard (1788) だが,ソクラテスとそれ以前の人々とを区切る見方自体は古代に遡る。この意味でのソクラテスに先立つ人々 (pre-Socratics) ーー歴史学的カテゴリーとしての〈ソクラテス以前の哲学者たち〉(Presocratics) と区別される意味でのーーに立ち戻ることは,Presocratics をめぐる現代の議論を理解する上でも必要である。

古代には Soc. 以前/以後を区別する二つのやり方が知られていた。

  1. 自然の探究/人間の探究 ('Socratic-Ciceronian' な区別。Xenophon を含む)。
  2. モノ (things) の哲学/概念 (concept) の哲学 ('Platonic-Aristotelian')。

Pl. Phd. による両者の架橋にも拘らず,〈前者が二者間の断絶を主題化するのに対し,後者はより深い連続性を示す〉という点で,二つの区別は相違している。この相違の諸前提と諸帰結は精査に値する。

ソクラテス-キケロ的伝統はソクラテス裁判 (399年) に遡る。ソクラテスはこのとき,遅くとも430年以降 περὶ φύσεως ἱστορία の名で知られた試みと自分を区別する必要があった。この語は Phd. でも術語のように扱われており,設定年代のみならず執筆年代においても術語だった可能性もある。実は 5C 最後の1/3世紀が初出であり,「自然について」という標題で (時代錯誤的により古い作品を含む) 多くの著作が出回ったのもこの時期である。

Hp. VM 20 (語 φιλοσοφία の初出テクスト,「自然本性について」の諸著作の思弁性を批判し医学的探究と対比する), E. fr.910 (DK 59A30, LM T43a), Dissoi Logoi などから,「自然本性についての探究」の特徴として (a) 対象の全般性,(b) 発生論的観点,を抽出できる。なお Phd. 以前 (Xen. Mem., Pl. Lys.) の〈全てのものの本性〉は,Phd. 以降 (e.g. Phlb.) では「自然」へと結晶し,アリストテレスの οἱ φυσιολόγοι の実体化に繋がる。

そしてアナクシマンドロスから (cf. Kahn 1960; 体系性からタレスと一線を画す) アポロニアのディオゲネスに至る伝統が如上の記述に実際に対応する。宇宙生成・消滅論・宇宙論,動物発生論・動物論,人類学・生理学が,彼らの探究の多少とも必須の構成要素であった。この伝統とは別に「天体論」的テクストもあり,Hp. Carn. はこれを自然学と区別する。ただし Phd. で若き日のソクラテスが専心した問題はむしろ前者に属する*1

自然論 (Naturalism) はイオニア就中ミレトスで生まれ,ペリクレスが招聘したアナクサゴラスがアテナイに持ち込んだ。E. fr. 913. はこれに対する当時の懐疑を示す。ディオペイテースの決議 (438/37) に基づきアナクサゴラスは天体を焼ける石と主張したとして不敬神の罪で告訴される (間接的標的はペリクレス)。そしてソクラテスも同様の関心を有すると睨まれていた: Ar. Nu. は訴因を先取りしてソクラテスを「ソフィスト」かつ「自然学者」として描く。Ap., Mem. はこのアマルガムを論難しソクラテスを τἀνθρώπινα の探究者,「人間主義者 (humanist)」とする。そして pre-Soc. の自然論と Soc. 的人間主義との対比は,後者が前者に続くという歴史学上の解釈の可能性を開く。Phd. におけるソクラテスの伝記的記述は,ひとはどこかを始点にしなければならないという内在的観点のみならず,Nu. が理解可能になるという点でも尤もらしい。

近代の Presoc. 概念の形成に恐らく最大の影響を及ぼした Cic. Tusc. V 冒頭は pre-Soc. 概念の最初の準-歴史学的使用を示す。キケロ哲学史 (これは文明化の歴史でもある) を三段階に分ける。(1)「賢者たち」の時代:「七賢」のみならず神話的人物も含む。(2) ピュタゴラスによる哲学概念の導入:「観照」としての哲学,実践的問題からの隔絶。(3) ソクラテスによる実践的問題の再導入。

キケロは (2) の人々を天体論者 (どころか天文学者) と同一視するが,この時代区分は「自然」概念の再解釈を強いる: エレア派やヘラクレイトスは上記の意味での自然論者ではない。彼らが「自然哲学者」であるのは,「自然」という語が生成消滅の過程ではなく,そこで展開され存立する原理・基体を指すときである。この意味で pre-Soc. は最初の存在論者たちでもあったことになる。ただしアリストテレスを始め,古代人は概してこのような広い定義を公には受け入れなかった。

ソクラテス-キケロ的伝統がソクラテス以前/以後を内容の水準で区別するのに対し,プラトン-アリストテレス的伝統は両者を方法の水準で区別する。すなわち両者の間に認識論的な問いへの移行を見て取る。この移行は Phd. に初めて現れるーーあたかも,ソクラテスが処刑されるその時,ソクラテスの擁護の必要ゆえに許されなかった,哲学的によりバランスの取れた見解を展開することが可能になったかのように。

「第二の航海」のいわば生命論的論証 (biological argument) が用いる「倫理的」事例ーーソクラテスが牢屋にいる原因は,彼がそれが正義だと考えたことであるーーは,pre-Soc. からソクラテスへの移行とともに,純粋にソクラテスソクラテスから際立ってプラトン的な移行を示す。だが論証の本体は人間的な事柄には関わっておらず,むしろ目的論的に構築される新しい自然学を素描しており,Tim. を垣間見ることができる。

他方 Arist. Metaph. A, M, PA A は,ソクラテスの倫理的探究の志向にではなく,むしろ定義への関心に,哲学史的伝統への貢献と切れ目とを見る。ソクラテスがなしたのは自然学的伝統の終結ではなく改造である。

ソクラテス的断絶のこうした相対化はギリシア哲学をイオニア・イタリアの二系統に分ける DL において最も明白である。ソクラテスイオニア的系譜においてアルケラオスプラトンその他とを結ぶ。加えてアルケラオスは (第一義的には自然学者であるにせよ) 彼自身倫理的探究を行っていたことでソクラテスの教師と呼ばれる栄誉を得ている。DL に Presoc. は存在せず,pre-Soc. も潜在的存在 (virtual existence) 以上のものを得ていない。この観点から言えば,近代的な Presoc. の定式化は DL から継承された図式に対抗して構築されたもので,その際むろんキケロ的モデルが決定的役割を果たしたのである。

*1:ということだと思うが,この辺り論旨の繋がりがうまく摑めない。