『自然学』A6 原理は三つ必要であるかもしれない

Phys. A6 (189a11-b29). 以下の三節に分ける。

  1. 原理は一つでも無限でもない。
  2. 原理は三つでありうる。
  3. 原理は四つ以上ではない。

原理は一つでも無限でもない

[189a11] 〔原理が〕二つか,三つか,それ以上かを言うことが,これに続くだろう。というのも,一つではありえない一方ーーなぜなら,反対のものどもは一つではないからーー,無限でもありえないーーなぜなら〔その場合〕〈あるもの〉は理解しえないだろうし,あらゆる一つの類に一つの反対があり,実体はある一つの類であるだろうから。また,限られているものどもから出てくることが許容されるのであり,エンペドクレスのように,限られたものどもから出てくることが,無限なものどもから出てくるよりも,より良いから。というのも,〔エンペドクレスは〕アナクサゴラスが無限なものどもから説明した限りのことども全てを説明したと考えていたから。さらに,いくつかの反対者は他の反対者より先であり,他のものどもは別のものども*1から出るが(例えば,甘さと苦さ,白と黒のように),諸原理はつねに残り続けるべきである。

要約

  1. 原理は一つではない。
    1. 反対のものは一つではないから。
  2. 原理は無限個ではない。
    1. 無限個なら,〈あるもの〉を理解できないから。
    2. 実体は単一の類であり,単一の類には単一の反対があるから。
    3. 有限なものから説明するほうが良いから。
    4. 原理は派生的でない。

内容

以下は Code の整理に基づく。

  • 〈あるもの〉は理解しえない (2.1): cf. 184a12-14 (Ross), 187b11-13. この議論は原理の反対性を仮定しない。
  • 実体はある一つの類であるだろう (2.2): i.e. 自然物が実体であるとすれば,自然は単一の反対からなることになる。後述の「第一の反対であるものども」(189b22-7) が念頭に置かれていると思われる。生成の〈形相―欠如〉分析の第一歩でもある。
  • 諸原理はつねに残り続けるべきである (2.4): e.g. 白/黒 は διακριτικὸν / συγκριτικὸν χρῶμα (Metaph. I7) から派生する。このように各々の類に単一の反対がある (2.2)。有限個の最高類の存在を仮定すれば,原理の有限性が導かれる。原理が「残る」とは,白黒のように別の述語に分析されない,という意味。

原理は三つでありうる

[189a20] それゆえ,〔原理が〕一つでも無限でもないということは,以上のことどもから明らかである。他方,二つだけであるとしないことには,一理ある。というのも,いかにして濃密さが稀薄さを何かにし,当の稀薄さが濃密さを〔何かに〕する本性をもつのか,ということが行き詰まりとされるかもしれないから。他の反対性も,いかなるものであれ,同様である。というのも,友愛が憎しみと融和し何ものかを憎しみから生み出すことはなく,憎しみが友愛から何かを生み出すこともないのであって,両者とも別の第三のものを〔何かにするのである〕。他方,幾人かの人々は,より多くのものをも前提し,あるものどもの本性をそこから構成するのである。

[189a27] さらにこれらに加えて,人は次のことを行き詰まりとするかもしれない。すなわち,ひとは反対に関する他の本性を仮定しないだろうか,ということを。というのも我々は,反対的なものどもを,あるものどものうちのいかなるものの本質存在であるとも見ないのだが,原理は何らかの基礎に置かれるものについて語られるべきではないからだ。というのも,原理の原理があるだろうから。というのも,基礎に置かれるものは原理であり,述定されるものより先であると思われるから。さらに,実体は実体の反対ではないと,我々は主張する。ならば,どうして実体ではないものから実体があることがあろうか? あるいは,どうして実体ではないものが実体に先立つことがあろうか?

[189a34] まさにこのことのゆえに,先述のこともこのことも真なる議論であると考えるとすれば,両方ともを救い出そうとするとき,第三の何かを仮定することが必要である。ちょうど,何か一つの自然があると述べるものどもが,〈全体〉,例えば水や火やその中間のもの,を語るのと同様にして。中間のものが一層〔よいと〕思われる。というのも,火や土や空気や水は,反対のものどもとつねに縒り合わされているから。それゆえ,基礎に置かれるものをこれらとは別のものであるとする人々は,不合理にもそうしているというわけではない。また他の人々のうち,〔基礎に置かれるものは〕空気である〔とする〕人々は〔不合理にそうしているわけではない〕。というのも,空気も他のものどもと比べて最も感覚可能な違いを有していないものだから。そして水がそれに続く。だが全ての人々が,この一つのものを,反対のものどもを用いて象っている。すなわち,濃密さ,希薄さ,より多く,より少なく,によって。これは総じて明らかに超過と不足である,ちょうど先ほど述べられたように。そして一と超過と不足があるものどもの原理であるという考えそのものは,古いものであると思われる。ただ同じ仕方ではなく,昔の人々は,二つのものがなし,一つのものが被るとし,後代のある人々は反対に一つのものがなし,二つのものがいっそう被る,と主張したのだが。

要約

  • 反対者を原理に置くとき,第三の原理が必要であるように思われる。
    1. 反対者は互いから何も生成できないから。
    2. 反対者は実体ではないが,原理は属性ではありえないから。
    3. 原理である反対者が実体でないとすると,非実体が実体に先立つことになるから。
  • 実際また,多くの人々がそのように考えてきた。

内容

  • 第三のものとしての基体の存在は前章の結論 (原理は反対者である) に一見矛盾する。両章の 'nuanced understanding' が必要,と Code は指摘する (また Kelsey 2008 を要参照)。
  • Code, pp.167ff. は ὑποκείμενον の論理学的/自然学的な二義 (Metaph. Z13) がこの時点で区別されていないことを重要視するが,あまり議論を汲めていない。

原理は四つ以上ではない

[189b16] 要素は三つであると主張することは,これらのことども,および他のこうしたことどもから考察する人々には,何らか理があると思われるかもしれない,ちょうど我々が述べるように。だが三つより多いということは,もはやない。というのも,被ることに関しては一つで十分であり,四つがあれば二つの反対があるだろうから,離れて各々に何らか別の中間の本性が帰属しなければならないだろう。もし二つであって互いから生み出すことができるなら,反対であるものどものうちの別のものは余分であるだろう。同時に,第一の反対であるものどもが数多くあることは不可能である。というのも,実体はあるものの何らか一つの類であり,したがって,諸原理は互いと先であるか後であるかという点のみで互いに異なるのであり,類の点で異なるのではないから。というのも,一つの類においては一つの反対がつねにあるのであり,全ての反対のものどもが一つの反対へと還元されるように思われる。それゆえ,要素が一つでも二や三より多くもないことは明らかである。だが,これらのうちいずれであるかは,我々が述べているように,多くの行き詰まりを有する。

要約

原理は高々〈一対の反対 + 基礎に置かれるもの〉しかない。

  1. 受動者 = 基礎に置かれるものは一つでよい。
  2. 反対も一対でよい。
    1. 二対あり,中間者 = 受動者が別々なら,二つあることになる。
    2. 中間者 = 受動者が同じなら,二つの反対は互いから生成可能であり,一方が原理としては余分である。
    3. 二つの反対が一方に還元可能でなければ,それらは同じ類に属さないように思われる。

内容

  • 2a-b の整理は Code, pp.172-4 に基づく。Code はこの点ピロポノスの解釈に従う。
  • 2c の解釈は Charlton に従う。ここを扱う Code, pp.174ff. の論述は込み入っていて理解できなかった。

*1:Code, 161 に従い OCT の ἀλλήλων (FI) ではなく ἄλλων (EVS) を読む。