『自然学』A5 #2 変化は反対のものどもの間で起きる

Phys. 188a30-188b26. 再開。ここは Judson がいろいろと難しいことを書いていて,全部は理解できていない。ざっくり分かったことにして読み進める。


[188a30] だが,このことがいかにしてそうなっているのかを,言論の上でも考察しなければならない。第一に,全てのあるものはどれも,本性上,偶々そうあることを,なすことも,偶々そうあるものによって被ることもない,ということを把握しなければならない。また,付帯的に把握するのでないとすれば,あらゆるものからあらゆるものが生じることもない。というのも,いかにして白いものが教養あるものから生じるだろうか,教養あるものに白くないことや黒いことが付帯するのでない限り? 白いものは白くないものから生じ,しかも全ての白くないものから生じるわけではなく,黒いもの,あるいは中間色のものから生じる。そして教養あるものは教養があるのではないものから生じるが,ただし全ての教養があるのではないものではなく,むしろ無教養なもの,あるいはもし何らかそれらの間にあるものであれば〔そうしたものから生じる〕。

[188b3] また第一に,偶々そうあるものへと消滅するわけでもない。例えば白いものは教養あるものへと消滅するのではない,何らか付帯的にでなければ。しかし白いものへと消滅しはしないし,偶々白いものへと消滅するのでもなく,むしろ黒いものや中間のものへと消滅するのである。同様に教養あるものも教養があるのではないものへと消滅し,しかも教養があるのでは偶々ないものへと消滅するのではなく,むしろ無教養なものへと消滅する,あるいはもし何かそれらの中間的なものであれば〔そうしたものへと消滅する〕。

[188b6] このことは他のものどもについても同様である,あるもののうち単純ではなくむしろ複合されたものどもも,同じ説明に即しているから。だが対立する状態が名付けられていないことのゆえに,そうであることが見逃されているのだ。というのも,全ての調和したものが不調和なものから生じ,不調和なものが調和したものから生じることは必然であり,調和したものが不調和へと消滅し,またその不調和は,偶々不調和であるものではなく,対立する不調和なのである。調和について言おうと,配置について言おうと,複合について言おうと,なんら違いがない。というのも,同じ説明が成り立つことは明らかだからだ。だが実際のところ,家や像や他の何であれ同様に生じる。というのも家は組み合わされておらずにこれこれの仕方でこれこれに分離されていることから生じ,像や何らかの造形物は,造形されていないものから生じるからだ。そしてこれら各々は一方で配置であり,別のものは何らかの複合である。

[188b21] したがって,以上のことが真であるとすれば,反対のものどもから,あるいは反対のものどもへと,あるいはそれらの中間にあるものどもへと,生成するものは生じ,消滅するものは消滅するのだろう。中間のものは反対のものどもからなる。例えば諸々の色が白いものと黒いものからなるように。したがって,全ての本性上生じるものは,反対のものどもであるか,あるいは反対のものどもからなるものだろう。

訳注

  • 教養があるのではないものから生じるが (188b1-2, οὐκ ἐκ μουσικοῦ): Ross 曰く 'idiomatically = ἐξ οὐ μουσικοῦ'. 厳しい読み替えだが皆これに従っている。実際,内容上は他の選択肢を取れそうにない。
  • 組み合わされておらずにこれこれの仕方でこれこれに分離されていることから: Judson は「分離されているもの」と読むが,文法的に可能かどうか不明。

要約

  • X が Y から生じるとき (Y でなくなり,X になるとき),X と Y は異なりつつ,同じ対立軸上に位置していなければならない。
  • X が Y へと消滅するとき (X でなくなり,Y になるとき),X と Y は異なりつつ,同じ対立軸上に位置していなければならない。
  • X, Y が複合的なものであれ,同様である。
  • したがって,生成消滅するものは,対立軸上にあるか,対立軸上にあるものどもから構成される。

内容注

  • 言論の上でも (188a31, καὶ ἐπὶ τοῦ λόγου): Ross: 'contrasted with the appeal to authority'; だが直前の議論も別段権威に訴えてはいない。Charlton: 'considering speech, or things said'. Judson: 'λογικῶς' i.e. 'on the basis of general considerations'. 今のところ Charlton 的に読みたい。Judson 解釈も方向性は正しいと思うが,「一般的」という特徴付けで済むかは疑わしい (cf. 千葉本序章)。なお Charlton は Phaedo, 99e4-100a2 を引証し,同 70cff. と本箇所の議論の類似から引証を正当化するが,この推論は弱い (また Judson p.142, n.39 は 100a2 の解釈に異議を唱える)。とはいえ同書の影響については一考の余地があろう。
    • Judson は〈家の例から分かる通り,「S が A になり,A は S の反対者・中間物ではないとき,変化はない」という主張は,概念的水準のものではなく,より深い科学的真理であることを意図している〉と述べる。だが第一に「概念的 / 科学的」という対比はやや曖昧であり,「家が συγκείμενον である」といった命題をどちらに割り振るべきかは自明でない。第二にアリストテレスは「何が real change か」といった問いをここで明示的に立ててはいない。
  • 単純 / 複合 (188b9-10): Judson, p.143 が指摘する通り,必ずしも a plurality of opposites ではなく,より一般的な意味における「複合」。
  • Judson はアリストテレスの主張に対するいくつかの可能な反論を挙げている (V節, pp.149-152)。

補足: Judson による図式の整理

ἁπλᾶ X が生成する 全ての Y からではなく むしろ Z から あるいは W から
λευκόν οὐ λευκοῦ μέλανος τῶν μεταξύ
μουσικόν οὐ μουσικοῦ ἀμούσου
X が消滅する 全ての Y へではなく むしろ Z へと あるいは W へと
τὸ λευκόν τὸ μὴ λευκόν τὸ μέλαν τῶν μεταξύ
τὸ μουσικόν τὸ μὴ μουσικόν τὸ ἄμουσον
σύνθετα X が生成する 全ての Y からではなく むしろ Z から
τὸ ἡρμοσμένον ἀναρμόστου
τὸ ἀνάρμοστον ἡρμοσμένου
οἰκία ἐκ τοῦ μὴ συγκεῖσθαι ἀλλὰ διῃρῆσθαι ταδὶ ὡδί
ὁ ἀνδριὰς καὶ τῶν ἐσχηματισμένων τι ἀσχημοσύνης
X が消滅する 全ての Y へではなく むしろ Z へと
τὸ ἡρμοσμένον ἀναρμοστίαν, 就中 τὴν ἀντικειμένην

(出典: Judson "Physics I.5", p.144.)