学問間の下属関係 McKirahan, Principles and Proofs #5

  • McKirahan, Richard D. Principles and Proofs: Aristotle's Theory of Demostrative Science. Princeton: Princeton University Press. 64-67.

本章では以下の箇所が検討される: A7 75a38-b20, A13 79a4-6. ごく短い章。

『オプティカ』を根拠に Ar. の下属関係 (subordination) の理論を解明している。この引証は適切と思われるし,説明も概ねよく分かる。また共通原理の理論との関係如何という問題は (近代数学の例は措くとしても) 確かにあるだろう。


A7 75a38-b20

だから,他の類から類を転移して〔事柄を〕証示することはできない。例えば幾何学的な事柄を算術的に〔証示する〕ように。〔…〕

だが算術的な論証はつねに,論証がそれについてであるところの類を持っており,他の論証も同様である。従って,論証が転移しようとするなら,端的にあるいは何らかの仕方で類が同一であることは必然である。他の仕方では不可能であることは明らかである。というのも,両端項と中項が同じ類からであることは必然であるから。というのも,もしそれ自体としてでなければ,付帯的であるだろうから。 反対の事柄が一つの知識に属することは幾何学によって証示されないし,他方二つの立方数〔の積〕が立方数であることも〕証示されない。ある知識によって別の知識に属する事柄を証示することもできない――例えば光学が幾何学的〔知識〕に関係し,和声学が算術的知識に関係するように,一方が他方の下にあるというように互いに関係するような事柄でない限りは。またある事柄が線について述定されるとき,例えば「直線は線の中で最も美しいか」あるいは「〔直線は〕曲線と反対であるか」のように,線である限りの線についてではない,つまり固有の原理から〔出てくる〕事柄である限りの線についてではないならば〔,それは幾何学によって証示されない〕。というのも,〔こうしたことは〕その固有の類である限りで述定されるのではなく,むしろ何らか共通のことである限りで述定されるのだから。*1

ある学問に別の学問が下属する (subordinate) とき,両者は同一ではないが,完全に分離されているのでもない。Ar. はこのことに曖昧な説明を与える。すなわち,基礎に置かれた類は端的に同一なのではないが,何らかの仕方で同一である。Ar. の躊躇はまた「和声学の基礎に置かれる類は算術のそれと異なる」(A9 76a12) という主張にも表れている。

基礎に置かれる類の条件付きの同一性について見通しを得るには,エウクレイデスの『オプティカ』を見るとよい。そこでは光学が,視覚の理論ではなく,視覚感覚から抽象される幾何学的属性の理論として示されている。視覚的な線は幾何学的な線と異なり,その「質料的 (material)」本性が捨象されてはいないが,しかし光学によるその取り扱いは幾何学的である。『オプティカ』は次のような証明を行う: まず視覚的属性についての定理が述べられ,ついで厳密に幾何学的な証明が続き,幾何学的結論が得られ,最後に「架橋的原理 (bridge principles)」により結果が光学に適用される。幾何学を用いうるのは,光学の基礎に置かれる類が幾何学の類でもあるからだ。例えば視覚的な線を幾何学的に取り扱いうるのは,それが幾何学的な線であるからだ――ただし視覚的属性をも持つ限りの (qua having their visual properties as well) 幾何学的な線である。

そのゆえに幾何学と光学は同一の原理から論証されうる (A12 77b1-2)。だが「そうあること」が下位の学問に属するのに対し,「何のゆえに」は上位の学問に属する (A9 76a10-13)。

A13 79a4-6

学問の下属関係のもう一つの特徴は次の一節に示される。

また彼らはしばしば「そうあること」を知らない。ちょうど普遍的な事柄を考察する人々がしばしば,個別の事柄のいくらかについて,考察しないために知らないように。

Ar. は何も幾何学者を論難しているのではない。要点はむしろ,幾何学者は幾何学者である限りで下位の学問の事実を探求してはいないということである。

この一節は,上位の学問が下位の学問より広い〈基礎に置かれる類〉を持つことを示唆する。第一に,上位の学問のいくらかの基体や属性は下位の学問に無関係である。第二に,下位の学問は上位の学問の一つの可能な適用を行うに過ぎない。光学は視覚的である限りの線を扱い,機械学はおそらく重さを持つ限りの線を扱う。*2

このように考えるなら,(Ar. の意図を離れて) 共通原理の理論を下属関係の理論の一部と見なすこともできる。このように解釈された Ar. の理論は,例えば集合論群論・環論・体論の関係をいくらか説明できる: より一般的な理論の原理はより特殊な理論の原理でもあり,前者の結論は後者の定理の証明に用いうる。――勿論相違点もある。代数の場合は特殊な理論が一般的理論にない原理を相当用いるし,一般的な理論が特殊な理論の説明を与えるわけでもない。また下位の学問は αἰσθητικόν であるという説明にも合わない。しかしいずれもそれほど重要な修正点ではない。

いずれにせよ下属関係の理論は論証的学問の理論において重要な役割を果たす。それは第一に論証理論を複数の分野に適用可能にし,第二に抽象的存在者の本性に関する Ar. の説明に適合させる。

*1:前記事 (http://eta.hatenablog.com/entry/2018/09/06/222153) より引用。

*2:だがこの場合扱う属性はむしろ増えるのではないか。また下属関係がツリー構造になり合流が起こらないという仮定がどれほど事柄に即しているのかもよく分からない。