3月に読んだもの

  • 第2週
  • 第3週
  • 第4週
    • C. W. A. Whitaker, Aristotle's De Interpretatione (Oxford: Clarendon Press, 1996).
    • G. E. L. Owen, "Inherence" in Phronesis 10(1), 97-105 (1965).
    • P. Simons, "On Understanding Leśniewski" in Philosophy and Logic in Central Europe from Bolzano to Tarski (Dordrecht: Springer, 1992).
  • 第5週
    • ルフレッド・フェルドロース『自然法』成文堂,1974年。
    • 吉原祥子『人口減少時代の土地問題:「所有地不明化」と相続,空き家,制度のゆくえ』中公新書,2017年。

正確には3/6-31。記録をつけていなかった文献もあり,それらについてはあまり何も書いてない。本と論文を一括したが分けたほうがいいかもしれない。そもそも4年生になるのだからフラフラせず卒論関連の哲学文献に傾注すべきだという話もある。

記号論への招待』

手ぎわよくまとめられた入門書。特に応用例を取り上げる第4章は関心のありかを知るのによい。以下は引っかかった点。

  • 記号の分節機能の「イデオロギー」的性格がしばしば強調され,また意味と価値とが殆ど同一視されているが,ある分節のしかたの受容とイデオロギーの受容は必ずしも同じではないし,むしろ分節の大部分はイデオロギーと無縁でさえあるのではないか。*1
  • 「一葉落ちて天下の秋を知る」といった記号現象は普通のいみでのコミュニケーションではない (発信者が不在だから)。この極を視野に入れながら,それを「読み取るコミュニケーション」と呼ぶことの眼目 (また「メッセージ」−「伝達内容」という術語を用いることの眼目) はどこにあるのか。それはむしろ非コミュニケーション的な極ではないか。
  • 狭義の言語を統辞論的・意味論両面で一次元的構造を持つものとして説明するのは無理があるだろう。(無理が出ないとすれば,言語使用のどの部分に関心を向けているからなのか。)

『裁判の原点』

民主政と国民主権の理念から,「正しい」政策の実現の手段としての裁判制度の利用の限界を論じ,権力分立の観点から本来の政治の場としての立法府の意義をふたたび強調する,という点で旗幟は鮮明。ただあまり説得はされなかった。しかし色々な判例を引き合いに出して論じているのでそれを追うだけでも勉強になる。現実の裁判所を政治的アクターとして分析する司法政治論という分野があることを知った。

『開かせていただき光栄です』

18世紀イギリスを舞台にしたミステリ。主人公の外科医たちはジョン・ハンターがモデルになっている。大胆かつ緻密な構成で大変面白く読んだ。

『専制国家史論』

〈専制−封建〉という対比を立て,中国文明における専制国家の成立と近代におけるその継承を論じる。素材もアプローチも全く見慣れないもので難しい。

『知覚と判断の境界線』

知覚の哲学の入門書。高次知覚を積極的に擁護する諸章は結構面白い。ただそうした議論から直接存在論・認識論的な含意を引き出すのが存在論的・認識論的なテーゼの主張の仕方として良いやり方なのか良く分からない (ダメという論拠も持ってないけれど)。フィッシュ本を読んでからもう一度考えたい。

"Aristotle's Categories"

『カテゴリー論』の内容を紹介し解釈上の問題点をまとめた記事。1. The Four-Fold Division, 2. The Ten-Fold Division, 3. Whence the Categories?, 4. Recent Work という節分けで内容も各々標題の通り。特に第3節はカテゴリーなる概念装置の由来のさまざまな説明を明快に分類整理するもので勉強になる。Stadtmann によれば大まかに (1) 問いアプローチ (2) 文法的アプローチ (3) 様相的アプローチ (4) 中世の導出的 (derivational) アプローチ*2に分けられ,各々 (1) アクリル (2) トレンデレンブルグ (3) ボーニッツや Moravscik (4) スコラ学やブレンターノに代表されるという。

Aristotle's De Interpretatone

『命題論』の研究書。Whitaker の見立てでは,従来の研究において,言語論を展開する冒頭の諸章,および所謂「海戦問題」を扱う第9章のみが重点的に論及され (あるいは 'isolated oases of philosophical interest in an otherwise barren work' (p.1) とみなされ),全体としての統一性はなおざりにされる傾向にあった。本書はこれに反対して論考全体の系統立った解釈を行う,とする。

結論として,『命題論』は,矛盾言明対 (ἀντίφασις) を中心に言語を分析し,専らディアレクティケーの用に供する論考であるとされる。「海戦問題」は (7-8章とともに) the rule of contradictory pairs (RCP, 矛盾言明対の一方は真であり他方は偽であるという原則) の例外事例を提示する論証として全体の文脈に組み込まれる。こうした特徴付けのもとで,『カテゴリー論』と『分析論前書』の中間的論述という伝統的位置づけは斥けられ,むしろ『トポス論』や『ソフィスト的論駁』との関連が強調される。

第9章の分析から先を読みさしていたので返却する前に残りを流し読みした。間が空いたのと特に後半は原典を読んでないので理解は浅い。いずれにせよ RCP が論考の subject matter であるという解釈は良さそうに思う (少なくとも反論を思いつかない。Weidemann の峻烈な批評もこの点は重要な貢献として認めている)。

"Inherence"

『カテゴリー論』がトロープ説を取るとする従来の解釈を覆し,Ar. は普遍的性質しか認めていないと論じる有名な論文。*3 textual にどうかはさておき事柄の議論は結構いけてる気がする (論証にはなっていないが直観の説明がうまい)。テクスト解釈としては Frede が,トロープ説についてはタフコが重要な未読文献。

"On Understanding Leśniewski"

Leśniewski の Ontology と呼ばれる論理体系の概説。勉強会で読んだがごく浅い理解しかできていない。

自然法

原著は1971年刊行。〈実定法に先行する,目的志向性を持つ人間本性に合致した諸規範〉として自然法を規定し,その有効性を擁護する。第1章は自然法論史,第2章は人間本性の規定,第3章は具体的な規範の導出に充てられる。第1章では,アリストテレス,トマスからサラマンカ学派に至る古典的自然法論から筆を起こし,それを継ぐグロティウス以降の近世自然法論,自然法をたんなる法源とみなす社会契約論,現代の人格主義的自然法論を論じ,また新潮流としてマルクス主義実存主義新左翼 (マルクーゼ,ブロッホ,批判理論) の自然法論 (的要素) を論じる。また法実証主義に対する反批判をもおこなう。第2, 3章は具体的に人間本性を画定し規範を導出する作業をしている。規範の導出は一次的・二次的 (静態的・動態的) 自然法のトマス的な区別を前提する。

法学のひとと話していたときに自然法の話題が出てきて,そういえば自然法って何なのかよく分かってないな,と思って読んだ。時おり挟まれる概念の歴史的整理が勉強になる (例えば尊厳 (Würde) に関して p.124ff.)。他方「人間本性から規範を導出する」という作業をおこなう際に著者はアリストテレスのエンテレケイア概念を援用しており,例えばケルゼンの批判に対してもこれを用いて回答するが,ここはあまり話が噛み合っていないように思う。またそもそも人間の特権視自体いまでは論争を呼ぶ事柄だろう。

『人口減少時代の土地問題』

これも世間話に出てきたので読んだ。本書によれば,日本の私有地の19.8%は,登記情報が50年前から変更されておらず,いわば「所有者不明化」が起こっている。このことは土地利用の実務においては知られてきたが,課題として周知されてこなかった。この現象の要因としては,人口減少や高齢化,不在地主の増加などの社会の変化に加え,情報基盤の未整備や相続登記の煩雑さなどの制度の硬直化があり,加えて当事者 (国・地方自治体・土地所有者) にとって問題解決による利益の実感が希薄である点も挙げられる。解決策としては,相続登記申請の簡素化,空き家バンクなどの受け皿づくり,国土管理の土台という観点からの情報基盤の整備,等が提案される。

*1:分節の任意性をどれくらい大きく取るかということとも関連する。

*2:material world の構造からカテゴリーを derive する行き方のこと。

*3:無論 Owen はトロープという言葉は使ってない。