「哲学と哲学史」に関する邦語論集

「哲学と哲学史」という主題についてすこし調べる必要があって,上記の論集を読んだ。あとは哲学史研究会の編纂した分厚い論集がいくつかあるが,まだ見ていない。

個人的に興味があるのは「哲学することと哲学史をなすことは関係するか,とりわけ前者が後者に依存するか,また関係・依存するとすれば,どの程度・いかなるかたちでそうであるか」ということなのだけれど,この主題を真正面から,かつ批判的に取り上げる論考はこの中にはほとんどない。例外は『哲学史の哲学』所収の福谷論文と『なぜ学ぶのか』所収の渡邉論文で,これらについては後ほど要約を与える。近代的な哲学研究・哲学史研究への視点として,両者はある程度相補的である。

雑感として,『哲学の歴史』別巻所収の文章はどれも軽い読み物として読むことができ,内容もおもしろい。『なぜ学ぶのか』の諸論考,とくに後半部にあるもの,はそもそも本の共通トピックについて論じることにあまり成功していないように思われる。

哲学史の哲学』のいくつかの論考からは多くを学んだ。例えば内山論文は,ヘレニズム期までのギリシア思想史において古典期哲学があくまで周縁的で孤立したものであり,ストア派においてもむしろ初期哲学の要素が基調をなしていたことを指摘する。古典期哲学のもつ特権的性格は19世紀ドイツの「発見」であった。冨田論文は,ローティの反認識論的態度を受け継ぎつつも,認識論の成立に与って力あったとされるロックの議論を自然主義的に解釈されるべきものとして再評価し,そこからカントにいたる認識論の潮流をロックの歪曲の過程とみなすもので,通俗的なロック批判と近位説に関するデイヴィドソンクワイン批判とのパラレリズムの指摘を含め興味深い。伊藤論文,山内論文はもうすこし周辺知識をつけてから再読したい。

閑話休題


福谷茂「〈哲学史〉という発明」

今日,哲学史研究と哲学研究の双方において脱中心化が進み,またそれと並行して,中心−周縁関係を規定していた従来の哲学史研究は必要とされなくなりつつある。他方で様々な哲学的営為は,依然として,アカデミックな〈哲学〉というひとつの土俵のもとで考えられている。この意味を再考する。

歴史一般の機能の一つは事実やその記録の湮滅を防ぐことであり,それゆえ歴史においては客観性が志向される。だが哲学史は歴史一般より強く現在と現在の記述者に結びつき,典型的には『形而上学』Α巻に見られるように,むしろ自己の哲学を頂点とする過程として単線的に語られることが常であった。哲学史においては線形的記述をなすトゥキュディデス的伝統が優位を保ち,多元性を重んじるヘロドトス的叙法は根付かなかった,という事実も,この方向づけに寄与した。

学問としての哲学史に関してはヘーゲル哲学史講義』が画期をなすが,19世紀におけるアカデミズムの転換はすでにカントによって準備されていた。実際,いわゆる「講壇形而上学 Schulmetaphysik」(ヴント)の断絶はカントの登場に由来する。そして新たなアカデミズムを特徴づけるのは,古代ギリシアを同時代と直結する姿勢である。

旧来のアカデミズムは啓蒙主義的〈博学〉を特徴とした。ブルッカーの『哲学の批判的歴史 Historia critica philosophiae』は文明世界を俯瞰した広範な哲学史で,カントの哲学史的知識の主要なソースのひとつであり,前批判期の講義もこれに大きく依拠している。だが批判哲学の成立とともに,古代ギリシアを哲学の特権的な発祥地とする姿勢が鮮明になり,講義の焦点も絞られてゆく。KrV 第二版序文のいわゆる「学の王道」は,「古代ギリシャからまっすぐに一八世紀末ドイツへと開通した,新しい『哲学史』像にぴったりとはまったイメジャリー」(43頁)であった。この「発明された伝統」にもとづき,哲学に仕える哲学史が成立する。結論として,制度としてのアカデミズムは哲学史と一体であって,それは脱中心化された現代の哲学研究についても例外ではない。

渡邉浩一「最近の二つの哲学史観:問題史と発展史について」

ヴィンデルバントディルタイに代表される標記の二つの哲学史観について検討し,その意義と限界とを測る。

近代的な哲学・哲学史研究システムは新カント派によって整備されたものであり,その限りでヴィンデルバントによって考案・実践された研究プログラムは今なお注目に値する。その研究プログラムは,第一に「妥当」という観点と論理主義的方向付け,第二に「問題史」という観点,と表裏一体である。

ヴィンデルバントは,「カントを理解することとは,彼を越えゆくことをいう(Kant verstehen, heißt über ihn hinausgehen)」と述べ,カント哲学において生み出した諸問題の解決手段をカント自身のうちに見出すという仕方で哲学する,という指針を打ち出す。

その上で,第一に,「哲学の問題は公理の妥当である(das Problem der Philosophie ist die Geltung der Axiom)」と主張し,それにもとづいて「アプリオリな総合判断」に対するカントの取り組みの明晰化と超克を図る。この妥当は経験的・歴史的研究(発生的方法)のみでは確保しえず,むしろ「規範的意識」から下降的に示されねばならない(批判的方法)。とはいえ第二に,実際には歴史のうちに規範と事実の循環関係が存在する。つまり,個々の問題に取り組むなかで,次第に規範の意識が現れ出てきた,という歴史的過程が存在する。そこで「問題」が,人間精神の個別的変化と普遍的な規範との中間項として設定されることになる。

ディルタイはこれとは対照的に,生の発展という観点を軸に,心理学,後には解釈学にもとづく哲学研究,とりわけ精神科学の認識論的基礎づけ,をこころざす。彼曰く,認識論は「心的生(seelische Leben)」に根拠を持つのであり,他方で心的生は体験(Erlebnis)において直接的に与えられるのであり,さしあたり断片的に経験される心的生の全体的連関を理解(Verstehen)にもたらすことが課題である。さらに,「生の統一体」の横断面には心的生の構造(Struktur)が認められ,縦軸には発展(Entwicklung)が認められる。ディルタイはこうした見通しのもとで,伝記という叙述形式を用いて,哲学史をなそうとする。

ともにヘーゲル哲学史構想の継承者であったヴィンデルバントディルタイは,以上のごとく両極端に決裂しつつも,各々に哲学史研究の一形態を完成させた。とはいえ両者はまた様々な批判に晒され続けてきたし,また両者が提示した課題は,史料の増大とともに,今日の私たちにはもはや遂行不可能であるようにも思われる。(最後の明白な事例はカッシーラーの『認識問題』と『カントの生涯と学説』であろう。)ともあれ,問題史観・発展史観を克服するにせよ,継承するにせよ,まずはその内実を受け取り直す必要がある。