ギリシア哲学における「実在」概念の不分明さ Kahn, "Why Existence Does Not Emerge as a Distinct Concept in Greek Philosophy"

  • Kahn, “Why Existence Does Not Emerge as a Distinct Concept in Greek Philosophy” in Archiv für Geschichte der Philosophie 58 (1976), 323-34 [repr. Kahn, Essays on Being (New York, Oxford University Press, 2009), ch.3].

要約

パルメニデスから古典期までのギリシア哲学において実在(existence)は判明な論題として現れなかった。本論考はこのことを論証し、またその理由を与え、さらにそれが哲学的な損失であったか否かを問う。

上記のテーゼは古典期までに限定される。ヘレニズム哲学や新プラトン主義においては ὕπαρξις や ὑπόστασις という観念が登場し、これらは「実在」と多少は対応するからだ。もっともおそらく等価ではない。現代的な意味での「実在」が哲学の中心的概念となったのは、古典期の存在論が「創造の形而上学」によって根本的に修正されたときだ。この修正がなされたのはアウグスティヌスギリシア教父によってではなく、イスラム哲学においてであろう。実在は神によって被造物に与えられた「偶有的性質(accident)」となった。そこで、自然界の全体が実在しないこともありえた、という「根本的な偶発性(radical contingency)」の観念が生じた。(これは今日の実存主義(existentialism)のパトスの概念的基礎でもある。)

デカルトの議論などによって明確化された近代の実在概念は、上記のスコラ的議論を背景にして判明な論題として取り出されたものだ。この概念はさらに述語論理の発展によって現代的転回を果たした(cf. ラッセルやクワインの分析)。

さて、以上の意味での実在の概念はギリシア哲学の主題とならなかった。もっとも、このことは「実在する」という意味の動詞がなかったことからは十全には説明できない。そうした動詞の存在は実在概念を扱う必要条件ではないし、十分条件でもない。前者はクワインが ‘On what there is’ で強調した。*1 cf. デカルトの Je suis, アクィナスの esse, アンセルムスの証明における esse in re. 後者はルクレティウスキケロが existere という語を用いながら「実在」を語らなかったことに示される。言語相対主義を採ることは問題を覆い隠してしまう。

古典期に実在は主題化されなかったが、論じられなかったわけではない。アリストテレスなどは実在をほとんど判明な論題として取り出しかけている。彼は De Int. 11 で「ホメロスは詩人である」を「ホメロスはある」と区別し、また An. Post. 2 で ‘What is X?’ (τί ἐστι;) と ‘Whether X is or not?’ (εἰ ἔστιν ἢ μή;) を繰り返し区別する。――だが、De Int. の例における Ὅμηρός ἐστιν はおそらく「ホメロスは(いま)生きている」ということでしかない。An. Post. の例でも、アリストテレスが εἰ ἔστιν を実在の問いとして ὅτι ἔστι と注意深く区別しているとは言いがたい。アリストテレスが実在という主題の区別に最も近づいたと思しきこの一節においてさえ、区別は明瞭ではないのだ。

このことの結論として、アリストテレスは次の三つの問いを相互に区別し、またまとめ上げるような概念枠を持たなかった。(1) 個体の時間的な実在、(2) 無時間的な種の実在、(3) 無限、空虚、幾何学的対象といったものの実在。(cf. Owen, ‘Aritotle on the Snares of Ontology’.) アリストテレスの枠組みの内部で「実在」と最も相関するのは能力と活動(potency and act)の概念だろうが、これとてそれほど近くはない。

以上の主張はパルメニデスおよびプラトンについてはいっそう正しい。両者における「ある」の問い(The question of Being)は、真理と現実(reality)に結びつけて理解されねばならない。この問いとは、したがって、次のような問いである:探究、学問、真なる言説が可能であるためには、世界はどのように秩序付けられていなければならないか?

「ある」の基礎的用法は真理用法である。*2「現実」――言明を真にする事実――としての「ある」の概念もここから生じる。そして、問われている現実を主語-述語からなる文として考えるなら、ここから繋辞用法や実在用法も出てくることになる。この両者はしかし派生的な特徴にすぎない。

パルメニデスは Fr. 2 で二つの道を提示し、τὸ μὴ ἐόν の道を知の対象、知の道、有意義な言説たりえないものとして斥ける。τὸ μὴ ὄν ないし τὰ μὴ ὄντα はギリシア語で嘘や偽の信念を示した。(これを無 μηδέν と同一視するのはパルメニデスに特有である。)ここから次のように言える。パルメニデスの詩の冒頭をみちびくのは、知識と探究の到達点としての真理という観念である。ここで「現実」は現れ(Appearance)ないし偽なる見かけ(false Seeming)と対立する。この対立を置くことで、「ある」の形而上学的概念がはじめて明確化されるのである。

こうした真理・知識・現実の観念はプラトンの「ある」の概念にも受け継がれている。cf. Phd. 65-66, Resp. V 478-80. ところでプラトンにおける真理も X is Y の形に書ける。これが真でありうるためには、現実はどうあるべきか。X, Y および両者の関係はどうあるべきか。プラトンによれば、これが真であるのは、X が Y 性ないし Y そのものを分有するからであり、またその時にかぎる。つまりプラトンの Being は、being-of-a-Form, being-related-to-a-Form なのである。

アリストテレスの「ある」の概念はより複雑であり、ここで要約を与えることはできない。さしあたり言えることとして、彼のカテゴリーの枠組みは――述定のタイプを区別するために定式化されたものだが――実在のタイプを分析するのにも役立っている。ここでもあるとは何かである(εἶναί τι)ことである。τὸ τί ἦν εἶναι というタームはあらゆる主部(subject)についてその実在の仕方を示すが、 εἶναι の実在用法を含んではいない。

冒頭の問いに戻ると、ギリシアにおいて実在が判明な概念として生じなかったのは、「ある」への問いが、真理概念にもとづく「現実」への問いであったからだ。現実は X is Y の形で定式化される。それゆえに実在ではなく述定がアリストテレス形而上学(および暗黙のうちに『ソフィスト』篇)の主題となった。

さて、この特徴はギリシア哲学に不利に働いたか。この問いに簡潔に答えることは不可能だが、ギリシアの哲学者たちが次のように答えることは想像できる。――第一に、命題の分析というわれわれの方法論は、指示の理論や実在についての明瞭な説明を可能にした。また、今日の数学的対象の理論におけるプラトン的な存在論の妥当性や、個体・述定・自然種についてアリストテレス的な発想が果たす役割は言うまでもない。さらに、真理を出発点に据えることは、タルスキ以来の現代的観点を予期したものと言える。他方でたしかに、われわれの理論は、デカルト的な外界への懐疑やアンセルムスの論証を準備しなかった。しかしこれらの議論への評価によっては、このことはむしろ利点ともなりうる。

*1:vid. 『論理的観点から』飯田訳、5頁。

*2:cf. http://eta.hatenablog.com/entry/2017/08/04/231232