Resp. I 関連諸論文 #1

  • J. H. Quincey (1981) “Another Purpose for Plato, ‘Republic’ I” Hermes, 109(3), pp. 300-315.
  • Stephen A. White (1995) “Thrasymachus the Diplomat” Classical Philology, 90(4), pp.307-327.
  • J. R. S. Wilson (1995) “Thrasymachus and the Thumos: A Further Case of Prolepsis in Republic I” The Classical Quarterly, 45(1), pp.58-67.

『ポリテイア』篇第一巻(以下 Resp. I)を扱う論考をいくつか読む。#2 まである予定。

(追記:Wilson 論文まで扱っていると夜が明けてしまうことに気づいたのでこれは省略する。第四巻の魂の三分説において一見オミットされているかに見える理性と気概との葛藤は第一巻のトラシュマコスにおいて先取りされているのだ、というようなことが論じられていた。)

Quincey 論文

Resp. I には二つの目的があり、表立った目的は当然対話篇の導入とトラシュマコスの「正義」の定義の論駁であるが、一方で隠された目的としてトラシュマコスの修辞術の心理的効果の否定がある、というもの。

Resp. がトラシュマコスに帰する主な特徴は次の四つである。すなわち φιλαργυρία [金銭欲] (337d), conceit (338a, 341b), ὀργή [怒り、↔πρᾳότης 穏和] および διαβολή [誹謗]。これを testimonia から浮かび上がる歴史的トラシュマコスと対照させると、φιλαργυρία については十分な証拠がなく、プラトンの常套句として割り引いて考えられるべきである。他方 conceit への揶揄はおそらくそれほど的を外していない。ὀργή と διαβολή については、トラシュマコスの διαβολή と ἁπόλυσις διαβολῆς [誹謗を免れること] の技術に言及する Phdr. 267cd が参照されねばならない。これはところで法廷弁論の προοίμιον [緒言] の標準的な特徴であった(Ar. Rhet. 1415b-1416b)。

プラトンは διαβολή と ἁπόλυσις διαβολῆς ――両者は悪罵を伴うがゆえに哲学の尊厳に相応しくないものとプラトンには思われた――の才覚をトラシュマコスに帰しつつも、ὀργή と πρᾳότης を呼び起こす才覚をソクラテスへと移し、それによって、感情に訴える力においてディアレクティケーが雄弁術の優位に立つと主張した。さらに、'ὀργή-πρᾳότης sequence' をトラシュマコス自身に味わわせることで、彼に心理的な復讐を遂げた。――これが Resp. I の作劇術の主要目標である。


実際はもうすこし緻密な文献学的考証をしているが正直追えていない。ギリシア語を訳さずに引用しないでほしい。それはそうと、末尾で第二巻冒頭の “ἐγὼ μὲν οὖν ταῦτα εἰπὼν ᾤμην λόγου ἀπηλλάχθαι: τὸ δ᾽ ἦν ἄρα, ὡς ἔοικε, προοίμιον.” [「私はこれらのことを言って、議論から解放されたと思った――けれども結局それはどうやら προοίμιον であった。」] について、トラシュマコス、すなわち “the master of Introductions demolished in an introduction” への皮肉だという解釈を打ち出していて、これはなかなか面白いと思う。

なお White 論文はこの Quincey 論文を手短に批判している(p.308, n.6)。すなわち、トラシュマコスが法定弁論を専門にしていたという仮定が全体の論旨に効いているが、これは何ら根拠がなくむしろ DK A13 で反証されている、と。確かに διαβολή が鍵語である以上ここが崩れると全体が崩れる。

White 論文

トラシュマコスの弁論の断片(B1)を取り上げて、トラシュマコスがカルケドンからアテナイに送られた外交使節であった、という仮説を立てる。B1 をトラシュマコス自身の演説とみなす解釈は、それをたんなる手本、あるいは他のアテナイ人のために書いたもの、と見なす従来の解釈より整合的である。そのさいトラシュマコスの意図は、アテナイの苛烈な帝国主義に抗して、生国カルケドンの寡頭制の伝統を擁護することである。クセノフォン『ギリシア史』におけるアテナイ-カルケドンと周辺国の国際関係の叙述がこれを裏書きする。トラシュマコスの演説は407年になされたものと見るのが妥当である。

このことに照らすと Resp. I のトラシュマコスの議論の見え方も変わってくる。彼の主張は規範的なものというよりは単に記述的なもので、5世紀のパワー・ポリティクスに幻滅した理想家のそれである――この点で例えばカリクレスとは異なる。"Listening in Athens to talk about the just faring better than the unjust was simply too much for Thrasymachus to endure.“ (p.323)


この論文は面白かった。ただしプラトンの皮肉な筆致を加味してなお historical Thrasymachus を――「外交官トラシュマコス」像が仮に正しかったとして――どの程度解釈上反映させてよいかは言うまでもなく結構問題だと思う。


関連して以下の本に目を通した。よくまとまった入門書。前半でテクストの受容史にも触れている。