ヴォルテール『寛容論』

1762年のトゥールーズで,ある新教徒が子殺しの冤罪で処刑され,残る一家も離散の憂き目に遭った。被害者の姓を取って「カラス事件」と呼ばれるこの迫害に対して,ヴォルテールは名誉回復の運動を起こすとともに,宗教的信条の相違にもとづく迫害一般を糾弾する文書を著す。本書 Traité sur la tolérance がそれである。(史実に関しては訳者解説に詳しい。) 冒頭三章はカラス事件,およびその背景をなす新教徒迫害の事実叙述に充てられる。第4-6章は寛容に関する倫理的考察に充てられ,第7-14章は「古代史上,異教徒による宗教的不寛容と言うべきものはなかった,むしろコンスタンティヌス帝期以降のキリスト教徒こそ迫害者であった」と論じる。第15章以降は不寛容を糾弾あるいは嘲弄し寛容を称える様々な断簡の寄せ集めだが大変な筆の冴えを見せている。たとえば第17章はイエズス会内部で新教徒絶滅の陰謀を企てる殆どサド風の書簡を暴露する体で書かれたもので,読者に強烈な印象を残す。

表向き匿名の神父の著述という体裁で,カトリック教徒に宛てて書かれており,その枠内でぎりぎり可能な宗教批判を行っている。不寛容を旧套のキリスト教の特徴とし (他方で聖書はこれを正当化しないと言い添えるが),ヴォルテールの生きる「理性的な時代」と対置する。他方またヨーロッパの他地域・アジア・アメリカの寛容と対比したフランスの後進性をも強調する。このあたりは我々の有する社会批判の修辞との同型性を見て取れると思う。

また個人的に興味深く思うのはギリシアの哲学者の扱いで,第一に「アリストテレスの諸説」は魔法使いの弾圧やいなごへの破門といった旧習と一緒くたにされている (48-9頁)。ただこれはむしろスコラ批判の潮流に棹さすものだろう。第二にソクラテス裁判を評して「五〇〇人からなる法廷に二二〇人の哲学者がいたわけである。それだけでもたいしたもので,よそであればそんなに多くの哲学者にお目にかかれるか疑わしい」と書いている (55頁)。おもしろい表現だが,あるいは「哲学者」に独特の含みがあるか。

プリンチペ『科学革命』

  • Lawrence M. Principe『科学革命』菅谷暁・山田俊弘訳,2014年。

VSI シリーズ The Scientific Revolution (2011) の訳書。16-7世紀科学がそれ以前の諸学をどう継承し,何を新たに生み出したか,を簡明に解説している。第1章「新しい世界と古い世界」では前史・背景としてのルネサンス宗教改革を論じ,第2章「結ばれた世界」は初期近代の基本的世界観としてのいわゆる自然魔術を扱う。第3章「月より上の世界」,第4章「月より下の世界」,第5章「ミクロコスモスと生き物の世界」は各々章題の通り当時の科学の内実を解説する。第6章「科学の世界を組み立てる」は再び背景に眼を転じ,社会制度としての科学研究の成立過程を明らかにする。

久米ほか『政治学』

New Liberal Arts Selection の一冊。ざっと目を通したが,あとで補訂版が出ているのに気付いた。とはいえ章構成は同じ。政治学全体がカヴァーされているのかは判らないが,少なくともトピックは幅広い。章末に簡単な確認問題があるのもよい。

『国家』第1巻の論証構造 Nawar, "Thrasymachus' Unerring Skill"

  • Tamer Nawar (2018) "Thrasymachus' Unerring Skill and the Arguments of Republic 1", Phronesis 63 (4), 359-391.

再読。授業準備。ざっくり要約する (結論部は省略)。この論文のよいところは,「トラシュマコスはどういう主義なのか」という (刺激的だがしばしば曖昧である) 問題設定から手を引き,対話の論理展開に対する個々の発言の効き方に集中している点だと思う。

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カテゴリー論の発展史 Kahn, "Questions and Categories"

  • Charles H. Kahn (1978) "Questions and Categories" in H. Hiż (ed.) Questions (Synthese Language Library), Dordrecht: D. Reidel, 227-278.

アリストテレスのカテゴリー論を総観的に論じる論文。内容上序論と本論からなる。序論としては,まずカント以来のカテゴリー論史を回顧し,そこから生じるアリストテレス解釈の近現代的バイアスを指摘する。本論ではアリストテレスその人のカテゴリー論に対して三段階の緻密な発展史的解釈を加える。解釈の大枠を与えてくれる点でも便利だが,細かな観察も閃きが冴えている。難点はやや長いこと。

原文は特に節立てされていないが,以下のメモでは内容に応じて適宜見出しをつけた。もう少し整理してレジュメを作る予定。

なお本論文は Kahn, Essays on Being のペーパーバック版 (OUP, 2012) に再録されているが,このリプリントは夥しい数のギリシア語の誤植があり,少なくとも既習者はお世辞にも快適とは言えない読書体験を強いられる*1。入手可能なら初出の論文集を見たほうがよい。

*1:ハードカバー版から収録されている他の論文には目立った誤植はないので,増補作業が拙劣だったのだろう。精度の低い OCR で読み取ったものをそのまま印刷したのかもしれない。ほんま頼むで OUP.

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佐藤康宏『日本美術史』

一週間ほど前に読んだのだけど記録を忘れていた。美術史専攻の人に勧められた本。縄文土器から戦中期の美術までを扱う。対象のもつ様々な特徴を記述に落とし込む手つきの鮮やかさが印象に残る。なかでも例えば著者が「おそらく日本の彫刻すべての中でも最も魅力的なもののひとつ」と評価する神護寺の「薬師如来立像」の作品記述 (65-8頁) などは水際立っていると感じる。ただ放送大学の教科書という書籍の性格上どうしても図版が白黒になり点数も少ないのが初学者には難儀だった。