『国家』第1巻の論証構造 Nawar, "Thrasymachus' Unerring Skill"
- Tamer Nawar (2018) "Thrasymachus' Unerring Skill and the Arguments of Republic 1", Phronesis 63 (4), 359-391.
再読。授業準備。ざっくり要約する (結論部は省略)。この論文のよいところは,「トラシュマコスはどういう主義なのか」という (刺激的だがしばしば曖昧である) 問題設定から手を引き,対話の論理展開に対する個々の発言の効き方に集中している点だと思う。
続きを読むカテゴリー論の発展史 Kahn, "Questions and Categories"
- Charles H. Kahn (1978) "Questions and Categories" in H. Hiż (ed.) Questions (Synthese Language Library), Dordrecht: D. Reidel, 227-278.
アリストテレスのカテゴリー論を総観的に論じる論文。内容上序論と本論からなる。序論としては,まずカント以来のカテゴリー論史を回顧し,そこから生じるアリストテレス解釈の近現代的バイアスを指摘する。本論ではアリストテレスその人のカテゴリー論に対して三段階の緻密な発展史的解釈を加える。解釈の大枠を与えてくれる点でも便利だが,細かな観察も閃きが冴えている。難点はやや長いこと。
原文は特に節立てされていないが,以下のメモでは内容に応じて適宜見出しをつけた。もう少し整理してレジュメを作る予定。
なお本論文は Kahn, Essays on Being のペーパーバック版 (OUP, 2012) に再録されているが,このリプリントは夥しい数のギリシア語の誤植があり,少なくとも既習者はお世辞にも快適とは言えない読書体験を強いられる*1。入手可能なら初出の論文集を見たほうがよい。
続きを読む渡辺訳『テアイテトス』
講談社学術文庫版ちくま学芸文庫版を改訂した新訳。このレーベルの他のギリシア哲学の作品同様,本書にも初学者向けの長めの解説が付されており (350-479頁),その注では現代の研究状況にも折りに触れて言及されている。第二部の議論と『ソフィスト』篇との接続如何など多くを学んだ。訳語として μὴ ὄν を「ありもしない」と訳すのは良さそうに思う (435頁,注30)。
今回再読したのは研究会の予習も兼ねていて,他にも少しだけプラトン認識論関連のにわか勉強をしたが,なかでも以下の論文は面白かった。ἐπιστήμη の持つ行為者性の含意に着目することで Burnyeat 解釈に見られる陪審員事例の不整合を解消する試み。
笙野頼子『笙野頼子三冠小説集』
「タイムスリップ・コンビナート」「二百回忌」「なにもしてない」の三作を収める。旧作を文庫で出すために文学賞受賞作だけをまとめたのだという。著者の作品を読むのは『極楽・大祭・皇帝』に続いて二冊目で,こういう振れ幅のある作家だったのかと目が開かれた。この暗澹たる初期作品集を読んだのも随分前で記憶がおぼろげだが,そこから「なにもしてない」へと続く道は何となく視認できる。だが「タイムスリップ・コンビナート」はちょっと予想できない。
「タイムスリップ・コンビナート」は言語実験的な快作で,時空を伸縮させる自在な表現は「二百回忌」とも通じる。「二百回忌」は死人が蘇る奇妙な法事を描く短篇で,幻想的な祝祭が家族制度を徹底的に転覆する一時の晴れやかな雰囲気が漲っている。「なにもしてない」の舞台は平成二年,ひとり接触性湿疹をこじらせ引きこもりになっている小説家の「私」と,大量の警官を動員して行われる天皇の即位式とが並行して描かれる。これは偶々だが読む時期がよかったと言うべきかもしれない。