久保元彦「神の現存在の存在論的証明に対するカントの批判について」

  • 久保元彦「神の現存在の存在論的証明に対するカントの批判について」同『カント研究』創文社、1987年、351-420頁。

カントによる存在論的証明批判の固有性はどこにあるのかを問う論文。以下のようなことが主張される。

  1. カントによる批判の眼目は、現存在はレアリテートではない、という点にある。
    • ヘーゲルのカント批判はこのことを取り逃している。
  2. ただし 1 のような批判はそれじたいカントの独創であるとは言えない。
  3. カントの独創は、存在論的証明の批判が、同時にあらゆる思弁神学の批判ともなる、ということを示した点にある。
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Resp. I 関連諸論文 #2

  • J. Annas, An Introduction to Plato’s Republic, Clarendon Press, 1981, pp.34-58.
  • G. B. Kerferd, “The Doctrine of Thrasymachus in Plato’s ›Republic‹” In Sophistik, C. J. Classen (ed.) Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1976, 545-563. [Reprint of ibid. Durham University Journal 40 (1947):19-27.]

レポート準備で読んだ文献の覚え書き。前回同様、特にトラシュマコス関連のもの。

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Resp. I 関連諸論文 #1

  • J. H. Quincey (1981) “Another Purpose for Plato, ‘Republic’ I” Hermes, 109(3), pp. 300-315.
  • Stephen A. White (1995) “Thrasymachus the Diplomat” Classical Philology, 90(4), pp.307-327.
  • J. R. S. Wilson (1995) “Thrasymachus and the Thumos: A Further Case of Prolepsis in Republic I” The Classical Quarterly, 45(1), pp.58-67.

『ポリテイア』篇第一巻(以下 Resp. I)を扱う論考をいくつか読む。#2 まである予定。

(追記:Wilson 論文まで扱っていると夜が明けてしまうことに気づいたのでこれは省略する。第四巻の魂の三分説において一見オミットされているかに見える理性と気概との葛藤は第一巻のトラシュマコスにおいて先取りされているのだ、というようなことが論じられていた。)

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加藤信朗「ホドスとメトドス」

  • 加藤信朗「ホドスとメトドス」『哲学の道:初期哲学論集』創文社、1997年、3-53頁。

古代哲学における「方法」ないし「道」の概念を表題の二つの語から跡付け、また哲学における実際の方法を論じた論文。とりわけアリストテレスプラトンパルメニデスが中心的に取り上げられる。以下はその要約。ただし最終節(IV)――加藤自身の「哲学の道」観を走り書き的に記したもの――はまだ理解が追いついていないため省略する。

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